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カナタさん 『ナズナちゃんとソルーシュさん、グレンとラカ』



 燃えるような赤い髪と長く尖った耳が特徴的な少年がいた。
 彼の名はグレン。人間とは異なる種族、魔族でありひょんなことから住んでいた魔界から人間界に迷い込んでしまった。その上、その場に居合わせた神子と呼ばれる少女・ラカの手によって自身の魔法を封じられてしまう。封術という特殊な能力を操る神子の少女と、その幼馴染である傭兵の青年ダグラスと共に、彼は元の世界へ戻る方法と自身に掛けられた封術を解く旅をしている。

 旅の道中、彼らはデュランという町に立ち寄っていた。
 この町にはラカの同業者である神子はいない。だが貿易の中継地点でもある町なので、様々な人や物が溢れている。故に、グレンが元の世界へ戻る手がかりがあるかもしれない。また、手持ちの道具の残数が心もとなくなってきたので、補給するためにも立ち寄ることにしたのだ。
 傭兵の青年は今、宿屋の手続きをしている。残された魔族の少年と神子の少女は、宿屋のある大通りを中心に立ち並ぶ露店の間を突かず離れずの距離を保ったままうろうろしていた。
 ラカはとある露店の前に立ち止まり、並べられた商品を食い入るように見ている。何か買うか悩んでいるようで、しばらくあの場から動かないだろう。仕方なしに少し離れた位置からグレンは見守ることにした。あまり気が長い方ではないので、なるべく早く決断してくれることを祈りながら。
 神子の少女の後姿を眺めていると、後からやってきた黒髪の少女も隣に並び商品を珍しそうに見ている。店主に声を掛けられ、いつの間にか神子の少女も交えて何やら楽しそうに会話をしていた。
 これは長引きそうな予感がしたグレンだが、ふと複数の視線を感じて辺りを見渡す。道行く人々がグレンの方を物珍しそうに見ていることに気が付いた。
 やはり自分が魔族だからだろうか。人間の世界では魔族は人間に恐れられる存在である。とはいえ、この町にはグレンと同じような、長く尖った耳を持つ種族も多数いる。ここに至るまで、グレン自身も何度か彼らとすれ違っていた。彼らももしかして同族なのだろうか。
 だったら自分だけ珍獣のように見られることはないはずだ。そう結論付けて勢いよく横を見ると、グレンのすぐ近くに長身の男が立っていた。
 彼のよく知る傭兵の青年程ではないが、かなり背が高い。何よりグレンの目を惹いたのは、男の褐色肌と、腕や顔に彫られている不思議な紋様の刺青だ。
 こちらの世界に来てからはあまり見ない褐色の肌と、そしてやはりここら辺で見ない異民族風の衣装を纏っている。隣に立つ男の出で立ちを見て、グレンは納得した。

 道行く人々が物珍しそうに見ていたのは自分ではなく、この褐色肌の男だったということに。

 正直、この褐色肌の男は何となく胡散臭い雰囲気を纏っていた。現に道行く女性を見てはニヤニヤと締まりのない顔をしている。仕舞いにはラカがいる方向で視線が固定された。
 彼女の持つ杖を見て、男の顔色が変わったことをグレンは見逃さなかった。
 彼女が使う封術と呼ばれる特殊な魔法は、扱える者が少ないためかなり希少である。特殊な魔法を操る彼女達は“神子”と呼ばれ、人々に頼りにされる存在だ。場合によっては彼女を攫い、よからぬ企みに使われる可能性もあるかもしれない。
 特にあの神子の少女はあまり戦い慣れていない少女だ。この男に強襲されたらひとたまりもないだろう。
 警戒するようにグレンが横目で褐色肌の男を睨み付ける。男は魔族の少年の視線をものともせず、どこ吹く風で彼女に近づいていく。いつでも動けるよう、グレンは腰の剣に手を伸ばしていた。いざという時は、自分が彼女を助けてやらねばならない。

 男はラカと黒髪の少女の間に立ち、後ろから声を掛ける。始めは見知らぬ者の乱入に面食らっていた神子の少女だったが、徐々に打ち解けて笑顔を見せるようになっていた。
 ただの杞憂だったか、とグレンは剣から手を離す。しばらくぼうっとしていたところで、ラカの悲鳴が響く。
 何事かとグレンが悲鳴の聞こえた方を向くと、ラカの細い手首をあの男が引っ張り、自身の方へと引き寄せている姿が見えた。今度はグレンが面食らう。
 だがすぐに由々しき事態だと察し、慌ててラカ達の方へと走り寄った。その時、彼はラカの隣にいた黒髪の少女の姿が無いことに気付く。

「てめぇ、何してやがる!」

「あ、グレン!来ちゃダメ!」

 ラカの制止にグレンの足が止まった。その瞬間、ラカ達の背後に巨大な触手を持つ食人花が現れる。触手は露店を薙ぎ払い、そして逃げ惑う人々に襲い掛かる。
 男に引き寄せられる前にラカが立っていた場所には、何らかの液体で溶かされた跡が残っていた。地面が融けたアイスのようになっているところを見ると、強力な酸だろう。もしあの男が彼女を引き寄せていなかったら、こうして立っていなかったかもしれない。
 グレンは剣を構えて食人花の前に立つ。その隣に、ラカとあの男が並んだ。男はラカに向かって優しく指示した。

「神子様…この魔物はオレとこの少年で何とかするから、町の人々の避難誘導をお願い出来るかな?オレよりも神子様の言葉の方が、混乱した人々の心を落ち着かせられるだろうから」

「で、でも…あの子が…」

 ちらりとラカが食人花の方を見る。つられてグレンもそちらを見ると、食人花の体内に露店の店主とあの少女が囚われていた。二人とも意識を失っているのか、ぴくりとも動かない。彼女もあの少女達を助けたいのだろう。気持ちは分かるが、この魔物相手は今のラカに荷が重すぎる。あの触手から彼女を一人で守り切る自信も正直グレンには無い。
 躊躇う神子の少女の背を押すように、グレンが怒鳴った。

「大丈夫だ。俺が何とかしてやる!だからさっさと行け!」

「オレ達な」

 すかさず男が訂正の言葉を被せ、ラカを安心させるよう微笑む。それでも少し躊躇っていたラカだったが、再度男に促されてようやく避難誘導のため走っていった。

 改めて食人花に向き直ると、毒々しい紅い花の中心に小さな牙が生えた口が覗いていた。花の下には蔓で出来た籠のような空間があり、その中には露店の少女と黒髪の少女が捕らえられている。蔓で出来た籠の中には何かの液体で満たされているのか、意識の無い二人の身体が波間に揺れる海藻のようにたゆたっていた。
 二人を捕らえている籠の下は太い幹と意志を持った数本の触手、そして人間の足に当たる根が蠢いていた。
 食人花は基本的に森で静かに棲息していて、自分の領域を荒らす者だけを食べる比較的大人しい魔物だ。なのに何故人の町に現れたのか。グレンの疑問に答えるように、褐色肌の男が言った。

「大人しい食人花にも種類があってな。あいつは厄介な種で、普通の花に擬態してあの露店の商品に紛れ込んでいたのさ」

 さしずめ大勢の餌を前に興奮してその正体を現したのだろう。今の説明で、この男は最初から気付いていたように思えた。

「あんた一体…?」

「ソルーシュ=クリシュナ。ただの商人さ。一狩りしようぜ、グレン君?」

 何で自分の名を、と思ったが先程神子の少女が自分の名を呼んでいたことを思い出す。何となく癪に感じるが、まずは事態を収束せねばならない。
 舌打ちし、グレンはまず迎撃体勢を取った。自身に襲い掛かってくる触手の一本を剣で素早く斬り落とす。残りは大体六本くらいだろうか。一本失ったことにより、今度は複数でグレンに襲い掛かってきた。
 時間差を置いた連携攻撃で、息つく暇もない。避けるために動き回っているので、反撃に出られないでいた。
 素早く動き回る魔族の少年の身体能力に感心しながらも、褐色肌の男ソルーシュはあることを思いついた。彼も自身の武器である曲刀を抜き、グレンの相手をしていない触手を斬り付けて注意を引く。
 防御に徹するグレンの横で、ソルーシュが縦横無尽に動き回る。一見ただ無茶苦茶に避けているように見えたが、グレンは彼の本当の狙いに気付いた。
 彼の狙いに便乗して、グレンも防戦から撹乱のために動きを変える。彼らの動きが功を奏して、全ての触手をぐちゃぐちゃに結ぶことで動きを封じることが出来た。根も巻き込んだことにより、食人花をほぼ無力化させることに成功する。
 ソルーシュは懐から何かを取り出し、グレンの剣に向かって投げつけた。
 それは小瓶で、紫の液体が入っている。彼の剣に接触することで小瓶が割れ、中の液体がまるで意志を持ったかのように剣の刃全体に薄い膜となって纏わりつく。

「何だコレ?!」

「食人花の嫌う液体だよ。ま、除草剤みたいなものさ。その剣でトドメを刺してくれ!」

 ソルーシュの言葉にグレンが食人花の幹の中心を狙って剣を突き立てた。
 すると、剣を突き立てた場所からみるみるうちに腐っていく。食人花は断末魔を上げて萎びていった。幹が倒れる前に、二人は囚われていた露店の店主と黒髪の少女を蔓の籠から救い出す。
 黒髪の少女を抱き上げるソルーシュの表情は目に見えて安堵していた。おそらくこの少女は彼の知り合いなのだろう。彼はグレンに向き直った。

「ありがとな、グレン。オレの大事な人を助けてくれて。アンタは恩人だよ」

「は?!べ、別に助けた訳じゃねぇし。ただの成り行きだ」

「またまた〜、照れちゃって。素直じゃねぇんだから。そんな態度だとあの神子様に逃げられちゃうぞ」

「馬鹿野郎!あいつは別に…!」

 からかうソルーシュに対する怒りなのか、はたまた照れによるものなのか、グレンの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。ようやく落ち着いた頃を見計らって、ラカが二人の元へ駆け寄ってくる。
 走ってくる神子の少女の後から、グレンのよく知る傭兵の青年も追い掛けてきた。

「二人とも、大丈夫?!」

 意識を取り戻した露店の店主に手を貸してやりながら、グレンが当然と言わんばかりに鼻を鳴らす。ソルーシュはにこやかにラカを出迎えた。微妙に鼻の下が伸びているのはグレンの気のせいではない。

「この通りぴんぴんしていますよ。オレのおかげで、ナズナ姫と店主も無事に救い出せました」

「おい!半分は俺のおかげだろうが!」

 さりげなく自分の手柄にしているソルーシュにグレンが突っ込む。そんな二人のやり取りを見て、ラカが傭兵の青年と顔を見合わせ盛大に吹き出した。



*│ペーパームーン

館長さん 『タイム君とグレン』



 ようこそ。誰かが間違いなくそう囀った。誰か。それはわからない。
 ぱちりと覚めた目に映るのは陰鬱な曇り空。懐かしさを感じるが、何かが決定的に違ってしまっている。グレンは後頭部を押さえながら身を起こした。痛みは、ない。
 吹き渡る乾いた風が、真っ黒い木々の真っ黒い葉を揺らして過ぎる。どうやら森らしいが、森林という単語に含まれる瑞々しさや明るさは微塵もなかった。なんて鬱蒼とした影絵の世界。暗く照明を落とした密室で密やかに行われる劇を想起させるほど、全てが黒と灰色だった。
 ぐるりと首をめぐらす過程で、不意に遠方から人影が近づいてくるのが見える。その矮躯から少年であろう事は分かったが、漂ってくる気配は人間のものではない。地面を這ってゆっくりと忍び寄る悪寒にも似た感覚は間違いない、魔力だ。
 膝を突いて何時でも接近に対処できるよう身構えていると、不意に、背後から声がする。
「――おい」
「!」
 勢い振り返ると、そこには今の今まで視界に捉えていたはずの少年が厳しい顔をして立っていた。腰の剣に油断無く手を添えながら後ずさると、長いマントを揺らして少年は首を振る。
「そう構えるなよ。その反応を見るだに、この黒い森は初めてらしいな」
「……答える義理はねえよ」
「そうか。じゃあ、此処からは独り言だ。……最近、この森じゃ時空が歪んでると専らの噂でな。かく言う俺も、少し前に未来から来た自称息子と対面してる。だから」
 何が何処でどう繋がったって可笑しくもないし、どんな奇々怪々が起ころうと可笑しくないのだと。呆気に取られるグレンの前で、少年は重々しい角のついた帽子を被りなおしながら、相変わらずくすりとも笑わないまま続ける。表情に愛想はないが、声は幾分柔らかくなった。
「こっからは独り言じゃあない。見た所あんたも魔物のようだが、この周辺では見た事のない顔だ。魔界は初めてか、客人」
「魔界……!? 此処がか?」
「どっからどう見てもそうだろう。気が滅入るほど重苦しい空気、干からびた果実、四六時中うす暗い風景。あんたの居た場所も、そうだったんじゃあないのか」
「そう、だった。だけど」
 この風景を見て真っ先に比較したのは、故郷であるグレンの世界の魔界ではない。あれほど厭わしく思っていた人間界だった。でなければ、この場所を暗いとも陰鬱とも思わなかったろう。単なる懐かしさや既視感だけで終わっていたはずだ。陰気な印象を受けたのは、今の今まで身を置いていた場所の明るさに慣れていたから、ではないか。
 最初はあんなに眩く感じた人間の世界の活気を少しずつ、少しずつ当たり前と受け入れていたという事だろうか。
「今この黒い森では」
 平坦な少年の声が囁く。
「強く望んだ場所に行ける。あんたには帰る場所があるんだろう。何処へ帰る?」
 短い問い。淡く背を押されるような尋ね方がむず痒く、グレンはあえて不敵に笑って見せた。
「さっき言っただろ」
 強く、強く思い描く場所。平面の絵へ体ごと飛び込むかの如く、頭の中の風景が眼前に迫った。もう、少年の姿もおぼろだ。
「――答える義理はねえってな」

 眩む陽光に瞼をこじ開けられて、グレンは頭を振る。
 そこは、日頃から戻りたいと願っていた魔界ではなく、疎ましさに溢れた人間の世界だった。
 一時の白昼夢、あまりに短く呆気ない御伽噺。ふと、鼻腔をくすぐる肉料理の匂いと、何度も自らの名を呼ぶ声に気づいた。
 応じるのも鬱陶しい。しかし、腹立たしさは無かった。体を預けていたソファから立ち上がると、頭の後ろを掻きながら歩みだす。夢の先へ。