4│支部

 グレンたちが支部に行くと、出入口付近に人だかりができていた。
 どうやら、祭壇が破壊されたことは既に住民にも知れ渡っているらしい。不安げな声色で口々に話しているのが聞こえてきた。

「これで3つめか」
「一体、何の目的で……」

 あの祭壇が、そんなに重要なものなのか。人間界に来たばかりのグレンには想像もつかなかった。
 確かに、普通ではない雰囲気は感じたが、それだけだ。あれが何の役目を果たしているのかまでは分からない。
 神子であるラカが先頭に立って、支部内部へと足を踏み入れた。足早に進むその後を、グレン、ダグラスと続いていった。
 入ってすぐの広間には、数人の男たちがいた。
みな一様に似たような衣装を着ている。恐らくアルクメリア組織の衣装で、彼らが破壊された祭壇の調査に向かっていた男たちなのだろう。
 その内の一人が、三人の入室に気づいて目をやった。そして、グレンの姿を認めるなり、はっと表情を強張らせた。
 この反応は知っている。
 最初に会った人間たちと同じ反応だ。

「なんか文句あんのか」
「こら」

 突っかかろうとするグレンの服の袖を引っ張り、ダグラスがたしなめた。

「んだよ」
「喧嘩売っちゃ駄目だよ」
「俺に指図すんな!」

 二人でやいやいと言い合いを始めたその横を、ラカがこっそりと離れた。カウンターの女性と何やら話をし、その後すぐに、三人は人々の視線を受けながら、カウンターの先にある突き当たりの部屋へと案内された。
……グレンが男たちにガンをつけたまま動かないので、ダグラスが強制的に引っ張っていった形になったが。
 扉が閉まったところで、グレンは盛大に悪態をついた。

「……あいつら、人のことじろじろジロジロ見やがって」
「仕方ないよ。問題を起こした魔族を何とかするのが、アルクメリアの仕事だから」
「俺は何も、し、て、な、い」

 語気を強めてグレンが言うと、その後ろにいたラカはびくりと身体を縮めた。そろそろと扉の近くへと寄っていく。
 促された室内は、ソファーとテーブルがあるだけの簡素なものだったが、清潔感がある。小汚い牢にぶちこまれたときよりは格段にマシだった。
 この待遇とともに、先行きも徐々に良くなっていくと良いのだが……。

「まあ、ちょっと座ろうよ。お茶もあるし」

 何の茶葉だろう、と呟きながら、テーブルに用意されたティーセットを弄り出すダグラスを見て、グレンはげんなりした。緊張感がない。

「ラカはどれがいい?」
「あ……わ、わたしは……」

 扉をそっと開け、今まさに退室しようとしていたラカ。急に話を振られたため、びくりと肩を震わせて、おどおどと振り向いた。

「あっ、てめえ、また逃げようとしてんだろ!」
「ちょっと、やめなよ!」

 グレンの剣幕に、ラカは短い悲鳴を上げた。

「し、支部長さんを呼んでくるだけです」

 ごめんなさい! と叫び、ラカは部屋を飛び出していった。
 部屋がしんと静まる。
 グレンはどかっとソファーに腰を下ろした。

「何だよ、あいつ!」
「グレンが恐いからだよ」

 ダグラスは、湯気の上がるカップをグレンに差し出した。
 それには何も答えず、グレンは透き通った液体の、底に沈んだ茶葉をじとりと見つめた。
 態度や目付きが悪いことに自覚はあるが、あの反応は、それだけではないような気がする。
 彼女だけじゃない。人外の生き物でも見るような目をして見てくる人間もいる。かと思えば、普通に接してくる人間だって。

「俺も、そんな詳しいわけじゃないけど」

 ちょっと説明しようか。難しい顔をしてカップの底を睨むグレンに苦笑して、向かいのソファーに座ったダグラスが言った。

「あの祭壇が、何のためにあるのかは知ってる?」
「だから知らねえって言っただろ」
「そっか」

 祭壇は、悪魔や魔女が、人間界へ侵入できないように結界を張り、守るもの。
 彼らは人間に取り入り、害を及ぼす。そういった種族と同じ魔界に住んでいる普通の魔族も、白い目で見られることが多い。特に、悪魔と対する機会の多いアルクメリアの人々や、古くからの言い伝えを守る信心深い人間には。
 人間界にいる魔族は少ない。あまり警戒心を持たない者もいる。ダグラスや、この街の商店街の人々もそうだった。

「でも、特に最近は、祭壇の警戒も強まっているみたい」

 何者かによる、祭壇の破壊。あまり人が訪れない所ばかりを狙っているようなのだ。
 祭壇を破壊されれば、結界が弱まり、悪魔侵入のリスクが高くなる。よって、用もなく祭壇に近づく者は怪しまれる。

「そうしてたくさんの祭壇が壊されれば」
「……魔王が甦るという言い伝えがあるんじゃよ」
「うわっ!」

 いきなり割り込んできた第三者の存在に、グレンは跳ね上がった。
 その反応に、老人はファファファ、と明るく笑った。

「その反応じゃあ、貴公が魔王であるはずもないな」
「支部長さん、お久しぶりです」

 ダグラスが老人に頭を下げる。
 白髪頭で、白髭をたっぷりと蓄えた背の低い老人は、ダグラスの爪先から頭までまじまじと見た。

「むう、ダグラス、妙にでかくなったな」

 曖昧に笑うダグラスを眺めてから、支部長と呼ばれた老人は再度グレンに向き直った。

「神子から話は聞いておる。気が動転していたとはいえ、いきなり術を封じてしまったこと、すまなかったな」

 扉の影から、ラカがこちらを覗き込んでいる。グレンがぱっとそちらを向くと、慌てて扉の後ろに隠れた。

(バレバレだっての)

 ムッと表情を歪めて、グレンは支部長に視線を投げ掛けた。

「元通りにでもしてくれんのかよ」
「ああ、そのつもりじゃ」

 グレンは自らの耳を疑った。
 ダグラスの話が本当なら、祭壇にいた不審者として、捕らわれてもおかしくない。しかも、彼らはアルクメリア――魔族のことをよく思っていないというではないか。

「まず、本当に祭壇をどうにかしようと近づくモンは、不用意に手を伸ばしたりはせん」

 グレンの心の内の読み取ったかのように、支部長は口を開いた。

「神子によって、特別な力が込められておる。触れば吹き飛ばされていたじゃろう」
「げっ」
「五体満足でいられたかどうか……」

 ヒッヒッヒ、と怪しく笑う支部長に、グレンは冷めた視線を送った。
 祭壇に込められた力によって、大きく弾かれる自らの姿を想像したものの、手が吹き飛ぶ……というのは、さすがにあり得ない。
 神子と言ったが、所詮は人間の魔力だ。魔力を封じる術があるのには驚いたが、人間の力で身体がどうにかなるとは思えない。それだけ、グレンは自らの魔力に自信があった。
 支部長はグレンの額を指差した。

「魔族にしかない、紋様じゃな。ここが鍵になっておる」

 神子や、と支部長が声を掛けた。恐る恐るといった風に、ラカが部屋に入ってくる。

「ここに立て」

 と、グレンの目の前を差した。
……まさかとは思うが。グレンは嫌な予感がした。

「……もう一回殴るとかじゃ」
「殴られたいか?」

 再度、支部長は怪しげな笑い声を上げた。

「術を解くのに、殴る必要などありゃせん。殴られたいなら別じゃが」

 ラカが、グレンの前に杖を掲げる。杖の先の石が、ぼうっと光を灯した。
 全身に緊張がみなぎる。直立不動のまま、グレンはその光をじっと見つめていた。
 光は温かく、張りつめた精神まで解される心地がした。じんわりとした光に照らされながら、グレンは目の前の少女を見た。
 目を瞑り、口の中で何かを唱えている。細い眉は僅かに歪められ、手は小さく震えていた。
――恐いのか、魔族が。
 確かに、魔界には悪魔も魔女もいる。気の荒い者が多く、治安も良いとは言えない。人間界のことはどうだか知らないが、人間たちにとっては未知の世界なのだろう。
 そういえば、魔界で人間など見たことがなかった。
 グレンが人間界に来たことがなかったように、多くの人間が魔界を知らないで生きている。

「……あの」

 終わりました、と、ラカは小さな声で言った。
 光は収まり、杖は下ろされた。グレンはゆっくりと自らの手のひらを見つめた。
 特に変わった感じはしない。手を握ったり開いたりして、その感覚を確かめた。
 何だか嫌な予感がする。

「さて、これからどうする? 魔族の者よ」

 支部長に尋ねられ、グレンは視線を上げた。

「そりゃ……望んで来たわけじゃないんだから。帰るさ」
「ふむ、それが良かろう。ここはあまり居心地の良い世界じゃなかろうて、魔族にとっては」

 そう言いながらも、どうやって帰るのか、まったく検討もつかない。

「もう一回、祭壇に行ってみようか?」

 難しい表情をしているグレンに、ダグラスが問いかけた。
 なぜ人間界へ来てしまったのか分からないにしても、あの祭壇へ行けば、魔界へ戻る手掛かりが何かあるかもしれない。
 むしろ、現時点ではそれしか対処しようがないように思えた。
 頷きかけて、はたと思い至った。

「ちょっと待て、お前も来んのか」
「うん、だって心配だし」

 一瞬、呆気にとられて、グレンはダグラスをまじまじと見た。
 こいつ、お人好しすぎる。
 魔族に肩入れする珍しい奴もいるもんだ。そう思っていると、すみません、と蚊の鳴くような声がした。ラカだった。

「あの祭壇、結界が弱まってて、通じちゃったんだと思います。あそこは、もう私が結界を施してしまったので……」
「それに、不用意に祭壇へ近づくのは控えたほうがいいかもしれん。また捕らわれてしまうかもしれんからな」
「うーん……じゃあ、別の方法を探さないと駄目か」

 グレンは、魔界と人間界を繋ぐ伝承や、今回こうなったきっかけなどを頭に巡らせながら、テーブルの燭台をじっと見つめていた。
 魔界へ戻る方法も重要だ。しかし、一番気になっていることは「魔力が戻っているかどうか」だ。
 この世界を歩くには、丸腰では不安すぎる。
 魔力が戻っていれば、何とかなる気がする。これまで、自身の魔法で何度窮地を脱してきたことか。
 身体の奥底にある違和感を振り払うように、燭台の蝋燭を睨みつけた。すうっと顔の辺りまで手を持ち上げ、燭台目掛けて線を描くように一振り。
 いつもならば、指先に熱を感じるはずだ。はずだった。
 燭台は何事もなく、変わらずそこにあった。指先に感じる力もない。
 嫌な予感は的中した。