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グレンたちが支部に行くと、出入口付近に人だかりができていた。
どうやら、祭壇が破壊されたことは既に住民にも知れ渡っているらしい。不安げな声色で口々に話しているのが聞こえてきた。
「これで3つめか」
「一体、何の目的で……」
あの祭壇が、そんなに重要なものなのか。人間界に来たばかりのグレンには想像もつかなかった。
確かに、普通ではない雰囲気は感じたが、それだけだ。あれが何の役目を果たしているのかまでは分からない。
神子であるラカが先頭に立って、支部内部へと足を踏み入れた。足早に進むその後を、グレン、ダグラスと続いていった。
入ってすぐの広間には、数人の男たちがいた。
みな一様に似たような衣装を着ている。恐らくアルクメリア組織の衣装で、彼らが破壊された祭壇の調査に向かっていた男たちなのだろう。
その内の一人が、三人の入室に気づいて目をやった。そして、グレンの姿を認めるなり、はっと表情を強張らせた。
この反応は知っている。
最初に会った人間たちと同じ反応だ。
「なんか文句あんのか」
「こら」
突っかかろうとするグレンの服の袖を引っ張り、ダグラスがたしなめた。
「んだよ」
「喧嘩売っちゃ駄目だよ」
「俺に指図すんな!」
二人でやいやいと言い合いを始めたその横を、ラカがこっそりと離れた。カウンターの女性と何やら話をし、その後すぐに、三人は人々の視線を受けながら、カウンターの先にある突き当たりの部屋へと案内された。
……グレンが男たちにガンをつけたまま動かないので、ダグラスが強制的に引っ張っていった形になったが。
扉が閉まったところで、グレンは盛大に悪態をついた。
「……あいつら、人のことじろじろジロジロ見やがって」
「仕方ないよ。問題を起こした魔族を何とかするのが、アルクメリアの仕事だから」
「俺は何も、し、て、な、い」
語気を強めてグレンが言うと、その後ろにいたラカはびくりと身体を縮めた。そろそろと扉の近くへと寄っていく。
促された室内は、ソファーとテーブルがあるだけの簡素なものだったが、清潔感がある。小汚い牢にぶちこまれたときよりは格段にマシだった。
この待遇とともに、先行きも徐々に良くなっていくと良いのだが……。
「まあ、ちょっと座ろうよ。お茶もあるし」
何の茶葉だろう、と呟きながら、テーブルに用意されたティーセットを弄り出すダグラスを見て、グレンはげんなりした。緊張感がない。
「ラカはどれがいい?」
「あ……わ、わたしは……」
扉をそっと開け、今まさに退室しようとしていたラカ。急に話を振られたため、びくりと肩を震わせて、おどおどと振り向いた。
「あっ、てめえ、また逃げようとしてんだろ!」
「ちょっと、やめなよ!」
グレンの剣幕に、ラカは短い悲鳴を上げた。
「し、支部長さんを呼んでくるだけです」
ごめんなさい! と叫び、ラカは部屋を飛び出していった。
部屋がしんと静まる。
グレンはどかっとソファーに腰を下ろした。
「何だよ、あいつ!」
「グレンが恐いからだよ」
ダグラスは、湯気の上がるカップをグレンに差し出した。
それには何も答えず、グレンは透き通った液体の、底に沈んだ茶葉をじとりと見つめた。
態度や目付きが悪いことに自覚はあるが、あの反応は、それだけではないような気がする。
彼女だけじゃない。人外の生き物でも見るような目をして見てくる人間もいる。かと思えば、普通に接してくる人間だって。
「俺も、そんな詳しいわけじゃないけど」
ちょっと説明しようか。難しい顔をしてカップの底を睨むグレンに苦笑して、向かいのソファーに座ったダグラスが言った。
「あの祭壇が、何のためにあるのかは知ってる?」
「だから知らねえって言っただろ」
「そっか」
祭壇は、悪魔や魔女が、人間界へ侵入できないように結界を張り、守るもの。
彼らは人間に取り入り、害を及ぼす。そういった種族と同じ魔界に住んでいる普通の魔族も、白い目で見られることが多い。特に、悪魔と対する機会の多いアルクメリアの人々や、古くからの言い伝えを守る信心深い人間には。
人間界にいる魔族は少ない。あまり警戒心を持たない者もいる。ダグラスや、この街の商店街の人々もそうだった。
「でも、特に最近は、祭壇の警戒も強まっているみたい」
何者かによる、祭壇の破壊。あまり人が訪れない所ばかりを狙っているようなのだ。
祭壇を破壊されれば、結界が弱まり、悪魔侵入のリスクが高くなる。よって、用もなく祭壇に近づく者は怪しまれる。
「そうしてたくさんの祭壇が壊されれば」
「……魔王が甦るという言い伝えがあるんじゃよ」
「うわっ!」
いきなり割り込んできた第三者の存在に、グレンは跳ね上がった。
その反応に、老人はファファファ、と明るく笑った。
「その反応じゃあ、貴公が魔王であるはずもないな」
「支部長さん、お久しぶりです」
ダグラスが老人に頭を下げる。
白髪頭で、白髭をたっぷりと蓄えた背の低い老人は、ダグラスの爪先から頭までまじまじと見た。
「むう、ダグラス、妙にでかくなったな」
曖昧に笑うダグラスを眺めてから、支部長と呼ばれた老人は再度グレンに向き直った。
「神子から話は聞いておる。気が動転していたとはいえ、いきなり術を封じてしまったこと、すまなかったな」
扉の影から、ラカがこちらを覗き込んでいる。グレンがぱっとそちらを向くと、慌てて扉の後ろに隠れた。
(バレバレだっての)
ムッと表情を歪めて、グレンは支部長に視線を投げ掛けた。
「元通りにでもしてくれんのかよ」
「ああ、そのつもりじゃ」
グレンは自らの耳を疑った。
ダグラスの話が本当なら、祭壇にいた不審者として、捕らわれてもおかしくない。しかも、彼らはアルクメリア――魔族のことをよく思っていないというではないか。
「まず、本当に祭壇をどうにかしようと近づくモンは、不用意に手を伸ばしたりはせん」
グレンの心の内の読み取ったかのように、支部長は口を開いた。
「神子によって、特別な力が込められておる。触れば吹き飛ばされていたじゃろう」
「げっ」
「五体満足でいられたかどうか……」
ヒッヒッヒ、と怪しく笑う支部長に、グレンは冷めた視線を送った。
祭壇に込められた力によって、大きく弾かれる自らの姿を想像したものの、手が吹き飛ぶ……というのは、さすがにあり得ない。
神子と言ったが、所詮は人間の魔力だ。魔力を封じる術があるのには驚いたが、人間の力で身体がどうにかなるとは思えない。それだけ、グレンは自らの魔力に自信があった。
支部長はグレンの額を指差した。
「魔族にしかない、紋様じゃな。ここが鍵になっておる」
神子や、と支部長が声を掛けた。恐る恐るといった風に、ラカが部屋に入ってくる。
「ここに立て」
と、グレンの目の前を差した。
……まさかとは思うが。グレンは嫌な予感がした。
「……もう一回殴るとかじゃ」
「殴られたいか?」
再度、支部長は怪しげな笑い声を上げた。
「術を解くのに、殴る必要などありゃせん。殴られたいなら別じゃが」
ラカが、グレンの前に杖を掲げる。杖の先の石が、ぼうっと光を灯した。
全身に緊張がみなぎる。直立不動のまま、グレンはその光をじっと見つめていた。
光は温かく、張りつめた精神まで解される心地がした。じんわりとした光に照らされながら、グレンは目の前の少女を見た。
目を瞑り、口の中で何かを唱えている。細い眉は僅かに歪められ、手は小さく震えていた。
――恐いのか、魔族が。
確かに、魔界には悪魔も魔女もいる。気の荒い者が多く、治安も良いとは言えない。人間界のことはどうだか知らないが、人間たちにとっては未知の世界なのだろう。
そういえば、魔界で人間など見たことがなかった。
グレンが人間界に来たことがなかったように、多くの人間が魔界を知らないで生きている。
「……あの」
終わりました、と、ラカは小さな声で言った。
光は収まり、杖は下ろされた。グレンはゆっくりと自らの手のひらを見つめた。
特に変わった感じはしない。手を握ったり開いたりして、その感覚を確かめた。
何だか嫌な予感がする。
「さて、これからどうする? 魔族の者よ」
支部長に尋ねられ、グレンは視線を上げた。
「そりゃ……望んで来たわけじゃないんだから。帰るさ」
「ふむ、それが良かろう。ここはあまり居心地の良い世界じゃなかろうて、魔族にとっては」
そう言いながらも、どうやって帰るのか、まったく検討もつかない。
「もう一回、祭壇に行ってみようか?」
難しい表情をしているグレンに、ダグラスが問いかけた。
なぜ人間界へ来てしまったのか分からないにしても、あの祭壇へ行けば、魔界へ戻る手掛かりが何かあるかもしれない。
むしろ、現時点ではそれしか対処しようがないように思えた。
頷きかけて、はたと思い至った。
「ちょっと待て、お前も来んのか」
「うん、だって心配だし」
一瞬、呆気にとられて、グレンはダグラスをまじまじと見た。
こいつ、お人好しすぎる。
魔族に肩入れする珍しい奴もいるもんだ。そう思っていると、すみません、と蚊の鳴くような声がした。ラカだった。
「あの祭壇、結界が弱まってて、通じちゃったんだと思います。あそこは、もう私が結界を施してしまったので……」
「それに、不用意に祭壇へ近づくのは控えたほうがいいかもしれん。また捕らわれてしまうかもしれんからな」
「うーん……じゃあ、別の方法を探さないと駄目か」
グレンは、魔界と人間界を繋ぐ伝承や、今回こうなったきっかけなどを頭に巡らせながら、テーブルの燭台をじっと見つめていた。
魔界へ戻る方法も重要だ。しかし、一番気になっていることは「魔力が戻っているかどうか」だ。
この世界を歩くには、丸腰では不安すぎる。
魔力が戻っていれば、何とかなる気がする。これまで、自身の魔法で何度窮地を脱してきたことか。
身体の奥底にある違和感を振り払うように、燭台の蝋燭を睨みつけた。すうっと顔の辺りまで手を持ち上げ、燭台目掛けて線を描くように一振り。
いつもならば、指先に熱を感じるはずだ。はずだった。
燭台は何事もなく、変わらずそこにあった。指先に感じる力もない。
嫌な予感は的中した。