3│夕闇

 エレナの家を出て、大通りの石畳の上を歩く。
 思い詰めた表情をしているラカに、ダグラスが心配そうに声を掛けた。

「ラカ、大丈夫?」

 ラカはこくりと頷いて返したが、顔色は優れないままだ。

「悪魔か魔女か分かんねーけど、奴らとまともに話そうなんて無駄だぜ。せいぜい魂抜かれておっ死ぬか……」

 そこまで言って、グレンは口を噤んだ。身も蓋もない言い方をしてしまった。それを聞いたラカは、案の定びくりと肩を震わせて、固まってしまった。
 しかし、嘘は言っていない。それくらいの覚悟を持って挑まないと、取り返しのつかないことになる。彼女も、対魔族専門を謳う団体に所属しているのだから、それくらいは分かっているはずだ。

「……もちろん、魔法のことも気になるけど」

 魔族と相対するのを想像していたのだろう。ラカがロッドを固く握り締めている手が、小さく震えている。

「もしかしたら、村の人が困っているかもしれない。それが魔族の仕業なら、私が行かなきゃ。そのためにアルクメリアに入ったんだから……」

 ラカの言葉は、二人に話すというよりは、自分に言い聞かせているようだった。
 ラカがどのような経緯で、アルクメリアに入団したのかは知らない。魔族を恐れる彼女が、なぜわざわざ彼らに関わる団体に所属しているのかも、グレンには推し量ることはできない。
 たとえば、戦いの苦手な者が傭兵を雇うように。自分では作れない料理をシェフに振る舞ってもらうように。そういう身の振り方では駄目なのだろうか。

「ラカは、昔から責任感が強いから」

 ダグラスが耳打ちすると、グレンは小さく溜め息をついた。

「……一言二言話したぐらいじゃどうにもならねぇけど、誘いにだけは乗るなよ」

 街の出口へ向かって、グレンは一歩踏み出した。その先には、話で聞いた村への道がある。
 さっさと歩き出そうとするグレンを見て、ダグラスが慌てて呼び止めた。

「一緒に行ってくれるの?」
「見殺しにしたみたいで気分悪いからな」

 彼らへの接し方は、同じ世界に住んでいたグレンが一番よく分かっている。
 もし彼らと接触できたとしても、魔法が使えなくなった原因や、魔界への帰り方を聞き出すのは不可能だろう。グレンはそう考えていた。
 せめて、最悪の事態が起こるのを防ぐ。そのためには、行動を共にするのが一番良い。
 ダグラスは苦笑して、未だ立ち止まったままのラカを手招きした。ラカはぽかんとしていたが、やがてはっとして二人に駆け寄った。

「頼りになるね」
「うるせーな」

 笑みを含んだ声色で言うダグラスの足を軽く蹴ってから、グレンはラカを指差して言った。

「魔界の連中も、悪魔には迷惑してんだ。俺とあいつらを一緒くたに捉えてほしくないもんだね」

 それを聞くや否や、ラカはぴしりと手足を揃えて姿勢を正した。
「ご、ごめんなさい!」と頭を下げるラカを一瞥して、グレンはすぐにそっぽを向いた。

「ふん。まあ、人間界で魔族がそういう風に認識されてんのは分かったよ」

 人間にとって、魔界に住んでいる者は皆、『魔族』に分類されること。魔族に馴染みがないため、当然といえば当然かもしれない。
 間違ってはいないのだが、どちらかというと、悪魔は魔物と同じような分類なので、同類にされるとグレンはどうにも身体がむず痒くなるのだった。
 ポケットに手を突っ込んで歩くのはグレンの癖だ。姿勢も目付きも悪いため、好んで近付こうとする者は滅多にいない。
 そんな後ろ姿に、ラカは躊躇いながら声を絞った。

「……宜しくお願いします、グレンさん!」
「…………」

 グレンが、ギギギとぎこちない動きで振り返る。薄暗いオーラを纏って視界に捕らえられ、ラカはぴゃっと竦み上がった。

「……その変な呼び方やめろ。敬語も使うな」
「えっ」

 何かいちゃもんを付けられると思ったのか、その要求を予想だにしなかったというように、ラカは翡翠のような目を瞬かせた。

「分かったか」
「は、はい! ……じゃなくて、……」

 ラカは小さく「うん」と返事をした。グレンはさっさと歩き出す。どうにも調子が狂う。

「仲良く行こうね」

 二人を傍観していたダグラスが笑って言った。
 青空が広がっていたが、グレンが光を「眩しい」と訴えることはなくなっていた。人の順応性の高さゆえだろう。
 このやりとりに、ぎこちなさ以外のものを感じる日が来るだろうか。石畳を移る自らの黒い影を目で追いながら、グレンは思った。


* * *


 夕刻。
 日が沈み始める頃、やっと目的の村に着いた。が、三人は着くなり、村の入り口で立ち尽くした。
人が一人も見当たらないのだ。時刻を考えれば、村人は皆それぞれの家に帰ったのだとも考えられるが、家には灯りすら灯っていない。
 ただならない空気を感じ取りながら、村を散策すると、奥の一番大きな家から唯一灯りが漏れていた。中には人の気配もする。二人に目配せをして、ラカは控えめに扉をノックした。

「……どちら様ですか」
「あ、あの。アルクメリアの者です。何かあったんですか」

 出てきた女性は、青い顔をしていた。しかし、アルクメリアと聞くと、すぐにほっとしたように表情を緩ませた。

「もしかして、神子さまですか」
「え、あ、はい。一応……」

 何とも歯切れの悪い答えに、グレンは眩暈がした。
 出会い頭、彼女に気絶させられた自分は、人間界史上最高に間抜けなのではないだろうか。
 自己嫌悪に陥って、肩を落とすグレンを横で見ていたダグラスが、不思議そうに首を傾げた。

「良かった……! 誰も助けが来なくて、困っていたんです。話を聞いていただけますか」

 そう言われ、三人は家の中に通された。グレンを見た女性が、一瞬だけ顔を強張らせたように見えたが、グレンは何も言わないことにした。これからもこういうことが頻繁に起こるだろう。いちいち反応していては時間と労力の無駄だ。
 リビングには数名の女性と、小さな子どもたちが身を寄せ合っていた。女性の年齢層は様々だが、歳若い女性たちの幾人かは、子どもたちの母親なのだろう。しかし、父親らしき男性の姿は一つもなかった。

「男たちは皆、出払っていていないのです」

 三人に椅子を勧め、席に着いた女性がぽつりと言った。

「どちらかに出掛けられているんですか」
「……村の離れの、祭壇に」

 そう言うと、女性は苦しげに顔を歪めた。
 やはり、何か様子が変だ。表情に不安を滲ませながら、ラカは膝の上で固く手を握った。

「アルクメリアの者が、祭壇へ調査に来たはずです。その人たちは、どうしましたか」
「わ、分かりません……誰も戻って来ないんです……!」

 女性は両手で顔を覆い、声を震わせた。ラカの隣では、黙って聞いていたダグラスが固唾を飲んで見守っている。
 アルクメリアが、この村にある祭壇の調査に訪れたのは、一月ほど前。二人の男が派遣された。
 通常、祭壇の封印が弱まっていることが調査で分かれば、支部へ連絡することになっている。近場なら戻って報告、距離があるなら伝書で。その後、神子が再封印に訪れる。
 男たちは、祭壇の安置してある建物に入ったきり、戻ってこなかった。村人たちは、村へは戻らずに支部へそのまま帰ったのだろうと思っていたので、特に気にはしていなかったのだが。ある日、何気なく建物の方を見遣ると、見たことのない大きな屋敷が建っていたというのだ。

「気味が悪くて、支部へお伝えしたんです。そうしたら、調査に行った方たちが戻っていないことを知って。子どもたちには、何があるか分からないから、屋敷には近付かないようにと言い含めていたのですが……」

 女性は声を潜めて言った。すると、ラグの上にぺたりと座り、絵を描いている小さな子どもの面倒を見ていた少女が顔を上げた。

「わたし、見たの。チビたちが4人、屋敷の塀の中に潜り込んでいったの。すぐ戻ってくると思ったんだけど……」

 子どもというのは、やるなと言われることほどやってみたくなるものだ。
 突如現れた不思議な屋敷に好奇心が湧いて、探検のつもりで忍び込んだのだろう。

「じゃあ、子どもたちが戻ってこないのを受けて、この村の男性も屋敷に向かったんですね」

 ラカは静かに言うと、目の前に座る女性は、目を赤くしてそっと頷いた。
 祭壇の調査以外に行うこと。悪魔か魔女が関わっている可能性があるので、祭壇の再封印。そして、そこへ向かった人々の捜索。
 カンテラは既に所持していたが、万が一にと女性から渡されたそれを受け取り、三人は家を出た。
 グレンとダグラスが離れると、女性は「あの」と、ラカに躊躇いがちに声を掛けた。
 女性はラカの肩越しにグレンをちらりと見遣り、口元を手の平で隠した。

「あの方は……魔族、ですか?」
「あ……ええ、そうです。ちょっと事情があって」

 グレンのいる位置からは、はっきりとではないが、その会話が微かに聞こえてくる。
 人の集まる都会より、小さな村のほうが魔族に対する警戒は強いようだ。気付かないふりをしてはいたが、家の中にいた時も、びしびしと視線を感じていた。
 魔族という未知の種族が、人間にとって警戒対象になるのは理解できる。できるが、しかし。
 どうこうする気もないのに怯えられるのは、あまり気分の良いものではない。

「どしたの、変な顔して」

 ダグラスがきょとんとした顔でグレンを見下ろす。
……この能天気男は。

「おい、行くぞ」

 グレンが声を掛けると、ラカは慌てて女性に軽く会釈をし、その場を離れた。


 村の奥に林があり、その先に祭壇があるという。
 話によると、屋敷の扉には普段は鍵が掛かっているが、日が沈む頃には開くようになっているらしい。これは、好奇心旺盛な子どもたちが調べた結果である。

「いつの間にか屋敷が建っていた、か……何だろうね」

 すっかり暗くなった道をカンテラで照らしながら、ダグラスが言った。
 その灯りに引き寄せられ、大きな蛾や名も知らない小さな虫が群がってくる。グレンは、目の前を飛ぶ虫を手で乱暴に払った。

「十中八九、悪魔か魔女だろ」

 何の脈絡もなくそんなことができるのは、彼らの魔法以外に考えられない。彼らは魔法のエキスパートだ。屋敷も単なる幻術である可能性が考えられるが、破るのは非常に難しく、魔族であるグレンすらあまり自信がない。特に、魔法が使えなくなっている今の状況では。
 グレンは一つの仮説を立てていた。その屋敷を創り出したのは、下級悪魔ではないかということ。
 彼らはそれほど強力な魔法は操れない。その証拠に、人間の村が近くにあるのに襲撃していない。自らは極力動かず、テリトリーまで人間を誘き寄せるのは奴らの常套手段だ。

「あ、あれだ」

 ダグラスが前方にカンテラを掲げる。鉄の柵とレンガの塀で囲われたその先に、大きな建物のシルエットが怪しげに浮かび上がった。