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ぐるりと全体を見渡して、入り口を探す。まず目に付いたのは、正面の鉄の柵。扉の形をしたそれは、蔦が絡み合ったような装飾が施されていた。そこ以外は、積み上げられたレンガで全体が囲われているので、出入り口らしいものはこの扉しかない。
グレンは柵の取っ手に手を掛けた。しかし、押しても引いてもビクともしない。
一体、村人はどこから入ったのだろう。魔法が使えないのが酷くもどかしい。いつものグレンならば、塀など魔法で一撃粉砕している。
「……ねえ、あれ」
ラカが小さく手招きし、壁の一点を指差す。地面から数十センチの高さと幅で、塀に小さな穴が開いていた。子どもなら余裕で通り抜けられるだろうその穴。大人はギリギリ通れるかもしれない。
グレンはダグラスからカンテラを受け取り、灯りを塀の向こう側へ向けた。屈んで覗き込むと、雑草が生い茂る庭の真ん中に屋敷が見えた。
グレン、ラカ、ダグラスの順に塀の穴をくぐる。先に庭に立ったグレンは、カンテラで周囲を照らした。魔物の姿はなく、人の姿もない。危険がないのを確認してから、グレンは穴に向かって手で合図をした。
ラカが出ると、続いてダグラスも顔を出した。屋敷は目と鼻の先だ。グレンは屋敷の扉の前に立ち、そっとドアノブを回した。開いている。
扉を開けようとして二人を振り返ったとき、グレンは一瞬呆気に取られた。
ダグラスが未だ穴をくぐった体勢のまま、こちらを見上げていたからだ。
「何やってんだ」
「……ぬ、抜けなくなった」
「は?」
予想もしなかった返答に、グレンは思わず気の抜けた声を上げた。
グレンは穴の傍にしゃがみ込んだ。頭と腕は辛うじて出ている。恐らく肩で一度つっかえたのだろうが、腕ごと無理やり出ようとして動けなくなった、そんなところか。
穴は隙間なく、ダグラスの身体にぴったりとはまっていた。
グレンは深い溜め息を一つついて、ダグラスを見下ろした。
「お前なあ。そんな無駄にでかい図体してっから、そうなるんだろーが」
「な、なりたくてなったんじゃないよ!」
なんていう悠長なやりとりをしている場合ではないことは重々承知しているが、思わぬハプニングには文句の一つも言いたくなる。
グレンとラカで、片方ずつ腕を引っ張ることにした。せーので同時に引くと、ダグラスはサッと顔色を変えて悲鳴を上げた。
「い、痛い痛い!」
「あっ、ごめん!」
驚いて、ラカがぱっと手を放した。
「少しぐらい我慢しろよ。躊躇うと余計手間掛かるぞ」
しかし、あの手この手で試みたが、まったくすっぽ抜ける気配はない。
ダグラスはこの体格の上、重量もある。巨体を引っ張る二人はもちろんだが、欠けたレンガが身体に食い込むのか、痛みを堪えようとするダグラスもぐったりと全身を地に臥せた。
一番に匙を投げたのはグレンだった。
「……こりゃ無理だ。お前、ここで待ってろ」
「ええ!? ずっと?」
「大体、そんなでかい武器、室内で振り回してみろ。俺たちまで巻き添え食うだろうが」
そう言って、グレンは荷物を漁ってもう一つのカンテラを取り出した。村から借りてきていて助かった。しかし、火を付けるためにマッチを取り出して、グレンは固まった。
こういうことは、すべて己の魔法で賄っていたため、火を起こす道具など使ったことがないのだ。
「……これ、どうやって使うんだ」
「貸して」
ラカがマッチを受け取り、手慣れた様子でカンテラに火を灯す。
「おお」
……と小さく感嘆してしまい、口を噤むも、既に遅い。グレンの顔はじわじわと赤くなり、ラカと目が合うと、ごまかすようにさっさと立ち上がった。
「カンテラ一個置いていくから問題ないよな。何かあったら自力で頑張れ」
「グ、グレン。本当に行くの?」
おっかなびっくり声を上げたのはラカだ。
グレンはむっとして振り返った。
「俺じゃ不満かよ」
「そうじゃないけど……! こんなところに一人でいたら危ないんじゃ……」
ラカの言い分も一理あるが、それは普通の村や街の外での話だ。
至極真面目な顔をして、グレンは言い放った。
「安心しろ。悪魔か何かに乗っ取られてる屋敷の中のほうが危険だ」
それはそれで嫌だ。
……というラカの心の叫びが届くわけもなく、グレンはおもむろに扉に手を掛けた。
「うう、……早く戻ってきてよ」
地面に這いつくばった格好のまま、ダグラスは恨めしげに二人を見送った。
重い扉が、軋んだ音を立てながら開かれる。
扉の先は広いエントランスになっていた。左右にドアが一つと、正面の二階通路に一つ。ここだけで見れば、左右対称な造りになっているように思える。
どこもかしこも埃っぽく、灯りに反射して塵がきらりと光る。壁には蜘蛛の巣が絡まっている。陰湿な悪魔が好みそうな環境だな、とグレンは思った。
一歩足を踏み出した直後、背後の扉からガチャンと音がして、ラカは跳び上がった。振り返ったグレンが一応ドアノブを捻るが、ガチャガチャと虚しく音が響くだけ。錠が掛かって封鎖されていた。
「かっ、鍵が……!」
既に泣きそうな顔をしているラカが声を震わせるその横で、グレンは冷静だった。
どうやら、二人が侵入したのは気付かれているらしい。鍵が掛かったのがその証拠だ。
埃の積もった床に、複数の足跡がある。大小様々なそれらは、小さいのがここに忍び込んだ子どもたちのもので、大きいのが彼らを探しにきた大人たちのものだろう。
グレンはその足跡が続いている、右の扉に向きを変えた。すると、
「ま、待って!」
突然、ラカが服の裾を引っ張ったものだから、グレンはその場に踏み留まるしかなかった。
渋々振り返ると、ラカはこの暗がりの中でも分かるほどに顔面蒼白だった。
「何だよ……」
「う、上の階で何か動いた……!」
「ああ、上ぇ?」
ラカが指差したのは、二階にあるドアの近くだ。カンテラを向けるものの、そこには閉じられたドア以外に何もない。
「何もねーじゃねーか」
「ほ、本当にいたんだってば!」
「だから、何が」
「…………な、何かが」
話にならない。
呆れたグレンが、今度こそ目の前のドアを開けようとすると、ラカは先ほどの比にならないほど強くグレンの服の裾を引いた。
「お前な、いい加減に……」
振り返ると、彼女はグレンを見てはいなかった。床の一点だけを見つめて、裾を掴んだ手は細かく震えている。
その視線の先を追って、グレンは絶句した。
彼女の足元の影が、大きく揺らいでいたからだ。
影の先からしゅるしゅると角のようなものが生え、裂けた部分に口が現れる。血のように真っ赤な色をしたそれは、けたたましい笑い声を上げて喋り出した。
『けけけ、まぁた人間がやってきた!』
頭の中でキンと響くような声に、グレンは顔を顰めた。
これが、この屋敷を創り出した悪魔なのか。
胸の前でロッドを握り締め、歯を震わせているラカの前に出て、グレンは影を見下ろした。
「ここに来た人間はどうした?」
グレンを見て、影は「おや?」と大袈裟に首を傾げた。
『こんなところに魔族が。何か訳アリですかな?』
「どうでもいいだろ。人間をどうしたっつってんだよ」
『ヘヘェ、人間ね。知りたい?」』
影は、裂けた真っ赤な口をニヤニヤと歪めた。勿体ぶったその態度に、グレンの眉間の皺が深くなる。
影は二人をおちょくるようにユラユラと蠢くと、
『知りたいなら、自分の目で確かめな!』
そう叫んで、ラカの足元目掛けて突進してきた。しかし、グレンはそれを予測済みだった。蛇のような速さで動く影の顔面を足で思いきり踏み付けると、『ぷぎっ』と妙な声を上げてじたばたともがき出した。
身動きの取れなくなった床の影に、ラカがロッドを振り下ろした。接触した瞬間、一瞬だけ目も眩むような白い光。影に憑いていた悪魔は、意味不明な言葉を放ちながら影に溶けていった。
その場にへたり込みそうなほど足を震わせて、ラカはロッドで身体を支えながら呼吸を整えている。
グレンはラカを凝視した。
怖がりだが、驚くほど思いきりが良い。
ロッドで殴られ気絶した、出会った当初と同じようなシチュエーションに、グレンは頭痛がしてくるようだった。
消えた悪魔は、ラカの封術によって影に憑けなくされただけだろう。また別のちょっかいを仕掛けてくる可能性がある。
あんなキンキン声で何度も話しかけられたら、魂を乗っ取られるより先に頭がおかしくなりそうだ。
「便利な術だな。また出てきたらその調子で頼む」
今、グレンが使えるのは剣しかない。物に取り憑かれれば、物理的な攻撃も有効だが、影や実体のないものが相手となると話は変わる。
戦いが得意ではないラカを戦わせるのは危険だが、しばらくは彼女に頑張ってもらうしかない。
「これで分かったろ。あいつらは嘘か、自分の得になることしか言わねえの。魔法のことも人間探すのも、自力で何とかするしかねえだろ」
グレンには、悪魔と関われば争いになることが分かっていた。彼らは人の生気や魂を狙う。そうされないために人ができることは、戦うか追い払うだけだ。
「……じゃあ、何でグレンはここに来てくれたの?」
「あ?」
「だって、聞いても教えてくれないって分かってたんでしょう?」
「それは、お前らが行くって言うから」
グレンはそこまで言いかけて、押し黙った。
これではまるで、心配してついてきたと思われるではないか。
そうじゃない。彼女の身に何かあっては、魔力が元に戻らなくなるかもしれないから。そうだ。
最終的には俺が困るから、付き合ってやっているだけだ!
「……グレン?」
「……んなことよりなぁ、とっとと行くぞ!」
「だっ、だよね!」
グレンの剣幕に圧され、ラカは跳ね上がりながら答えた。
ドアを開けると、 長い廊下の片側に同じようなドアがずらりと並んでいた。一番手前のドアを開けると、小さな部屋の奥にまたドアが。
まさか、この先にあったドアの向こうも、同じ構造になっているのでは。そんな予感をひしひしと感じ、グレンは足取りが若干重くなるのを感じた。