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ところどころに絡まった蜘蛛の巣を、グレンは鬱陶しそうに手で払った。
暗く埃っぽい螺旋階段を上りきると、目の前にはさっき通ったような長い廊下があった。階下の廊下と違うのは、どこにも他の部屋へと繋がるドアが見当たらないこと。そして、外側の壁にはガラス張りの窓が嵌め込まれている。
グレンは窓に寄って、外を見た。屋敷の周囲を見渡せる。ここに来るまでに通った林、その奥の村。目下に視線を移したところで、グレンは目を凝らした。
レンガの塀がない。
というより、塀『だった』ものが、無残に崩壊してバラバラになっている。
「どうしたの……?」
視線を外さないグレンを不思議そうに見て、ラカも窓の下を覗いた。
月の灯りを受け、はっと息を飲む。
後ずさって窓から離れると、ラカはそっと向きを変えた。その視線の先には、元来た階段。グレンはラカの握り締めているロッドを掴んだ。
「ちょっと待て!」
「だって、ダグが……!」
「上手く逃げて無事かもしれねえだろ」
もちろん、そんな根拠はどこにもない。下敷きになって埋まっている可能性のほうが高い。
しかし、一階の出口は入ったときに封鎖されてしまった。戻ったとしても出られないだろう。
ここから出るには、この屋敷を創り出した悪魔を何とかするしかない。
そう考えながら、グレンは記憶を辿った。
そうか。
さっき聞こえた何かが崩れる音は、塀が崩れる音だったのか。
「この廊下……何もねえな」
窓以外、何もないのだ。不自然なほどに。道を間違えたか、という考えが過る。
出入り口の付近で右のドアを選んだが、実は左だったとか。
足跡は右のドアに続いていた。しかし、ドアを開けてすぐに綺麗さっぱりなくなっていて、辿ることはできなかった。
グレンは廊下を見渡しながら歩いた。どこにも怪しい部分はない。汚れた壁を軽くノックすると音が響いたので、空間があることが分かる。どこかにドアが隠されているのだろう。
心配そうに窓の外を見ていたラカも、ようやく壁に向き合って、どこかに仕掛けがないか探し始めた。
「大丈夫だよね」
ラカが言っているのは、ダグラスのことだ。
そういえば、二人は幼馴染だと言っていたか、とグレンは思い返した。再会したときはお互い驚いていたようだったから、幼少期から久々の再会だったのだろう。
「……まあ、見た目通り頑丈そうだから、大丈夫だろ」
その言葉に、ラカは一瞬動きを止めるが、すぐにロッドで何の変哲もない壁を叩いた。
すると。
「な、何……!?」
驚いて目の前の壁を見るラカに、グレンも目を見張る。
叩いた壁とロッドが淡い光を放ち、収まっていくのと同時に、壁にすうっとドアが現れた。ドアを隠していた魔力に封術が反応し、解かれたのだ。
そうっとドアを開けて、更に驚いた。
汚れた薄い絨毯の上に座り込み、部屋の中心で身を寄せ合っていたのは、4人の幼い子どもたち。
「あの子たちって……」
ラカが呟くと、子どもたちは二人へ一斉に怯えた目を向けた。男児と女児が二人ずつ。衣服や手足は汚れているものの、大事には至っていないようだ。
「……だれ?」
ずっと泣いていたのか、目元を赤く腫らした少女が恐る恐る尋ねた。
「村の人に頼まれて、探しにきたの。お家に帰ろう」
ラカが優しく声を掛けると、子どもたちは互いに顔を見合わせて、こちらを見上げた。
不安と希望の入り混じった目だ。
「帰れるの?」
「うん。お母さんたち、心配してるよ」
そう言うや否や、子どもたちは一斉に顔をくしゃくしゃに歪めた。泣き出すのにそう時間はかからなかった。大声を上げてわんわん泣き出すと、突っ立ったままのグレンたちに駆け寄って取り囲んだ。
「な、何だ!?」
グレンが困惑するのも構わず、子どもたちは泣き続けた。涙だけでなく、鼻水までも吸い込んでじっとりとしたズボンを見て、グレンは口元を引きつらせた。
「あー! うるせー!」
「誰も怪我してないみたい。良かった」
ラカが安堵の声を漏らしたとき、壁に均等に配置されているすべてのランプに突然火が灯った。
急に明るくなった部屋を見渡して、グレンたちは身構えた。煌々と照らし出された部屋の奥に鎮座している石碑を見て、ラカは声を上げた。
「祭壇!」
グレンが人間界に迷い込んだとき、初めて見たのと同じ物がそこにあった。
しかし、中心に嵌め込まれている石は弱々しい光を放っていた。結界が弱まっている。
すると、急に耳鳴りが響き、みな咄嗟に肩を竦めた。
『良くない、良くなーーい!』
聞き覚えのあるその声に、グレンが剣を構える(とはいえ、物理的なものは一切効かないのだが)。背後のドアがバタンと閉まった。泣き叫ぶ子どもたちの肩を抱いて、ラカも胸の前でロッドを構えた。
祭壇の前に黒い影が渦巻き、そこから現れたのは一人の男。
彼はアイボリー色のローブを纏い、腰に一振りの長剣を差している。
その格好に、グレンは既視感を覚えた。
どこで見たんだったか……。
「あれは、アルクメリアの……」
ラカの呟きで、グレンは思い出した。
アルクメリア支部にいた人間たちと同じ格好だ。
つまりこの男が、祭壇に派遣されたアルクメリアの人間。支部へ戻ってこなかった二人のうちの一人。
男は青白い顔を上げ、覚束ない手付きで腰の剣を抜き取ると、グレンにゆっくりとその剣先を向けた。
目は濁っていない。男はまだ生きている。
しかし、意識は悪魔に支配されている。解放する手段は、二つのうち一つだけだ。
『急に潜り込んできたかと思えば、食事の邪魔しやがって……子どもの前に、お前らを食ってやろうか!』
焦点の定まらないまま、男は薄ら笑いを浮かべた。
男が踏み込んで間合いを詰める。剣を振り下ろされた瞬間、グレンは半歩後ろに下がった。剣は空を切り、足元の絨毯を引き裂いた。刃が床にぶつかる振動で男はよろめき、『おや?』と疑問符を零した。
思ったとおりだ。この悪魔は低級で、上手く人間を操れない。
グレンは剣を構え、操られている男のあちこちに視線を走らせた。
耳、首元、手。しかし、グレンが探しているものは見つからない。
『ボーっとするなっ!』
「……!!」
男の手から火の玉が飛び出し、グレンの頬を掠めた。髪が焦げたような匂いがする。ラカの封術が切れたのだ。
舌打ちをして、グレンは男に向かって踏み込んだ。
この男のどこかに、悪魔の紋様が浮き出ているはず。そこを叩けば、男を傷付けることなく悪魔を引き離すことができる。
間合いに入ったグレンに対し、男が剣を振り下ろす。それを白刃で受け止め、力づくで押し戻す。身体を上手く操れない悪魔はよろめいて後退するが、ニヤリと笑ってグレンを睨み付けた。はっとして瞬時に跳び退く。男の手から噴き出した火の玉は、さっきまでグレンが立っていた場所を焦がして霧散した。
男はニヤニヤと笑いながら身体を揺らした。
『変なの。魔族のくせに、魔法じゃなくて武器を使ってるなんて』
ダサイ! ダサイ! と連呼しながら、悪魔に操られた男はけたたましい笑い声を上げる。青筋を立てて、グレンは持っていた剣を乱暴に振った。
「うるせーな! 事情があるんだよ、いろいろと!」
『分かってるよ。アンタ、呪いを掛けられてるね。だからエッジもほとんど見えないんだ』
悪魔の言葉に、グレンは眉を寄せた。
呪い?
何を言ってるんだ、こいつは。
そう思ったのがもろに顔に出ていたのか、男は嬉々として喋り出した。
『おや? まさか、ご存知なかった?』
グレンは男を見据えたまま立ち尽くした。
ラカの封術のことを言っているのだろうか。しかし、封術は解除したはずだ。それでも魔法が使えなくなっている原因を、今探しているのだ。
『どんな呪いか、調べてあげようか?』
男が気味の悪い笑みを浮かべ、こちらに向かって手を差し出したとき、
「グレン!」
ラカが短く叫んだのを聞いて、グレンは頭を振った。
そうだ。誘いに乗ってはいけない。呪いなんて、悪魔が適当なホラを吹いている可能性を否定はできない。
そうやって人を誘い、対価として生気を奪う。それが悪魔の性質だ。
グレンが回り込むように駆け出したのに合わせて、男も次々と火の玉を放った。
距離を置けば魔法を使われる。紋様を探すには、至近距離に入り込んで押さえ込むのが理想だが、二人以上で連携しないとかなり厳しいだろう。
ラカは子どもたちを守るので手一杯だ。
足元を狙って飛んできた火の玉を避け、前へ踏み込んだ。横っ腹目掛けて体当たりを食らわそうとした直後、目前だった男に手のひらを突きつけられた。
わざと足元に飛ばした魔法は、接近させるための誘導だったのだ。
しまった、と思い、顔の前で剣を構える。踏み込み、前のめりになってしまった身体を横へ回避させるのは難しい。
男はニヤリと笑った。手から放たれた衝撃波をもろに食らい、グレンの身体は後方へ吹き飛ばされた。
後ろには壁。
叩きつけられる!
衝撃に備えて、グレンはとっさに目を瞑った。が、想像していたような痛みはなく、グレンは背後に現れた何かに受け止められた。
見上げると、そこに立っていたのはダグラスだった。
「ダグ!?」
ラカが驚いたような声を上げた。無理もない。先ほど外の様子を見たときには、彼が挟まっていた塀もろとも姿を消していたのだから。
鍵の掛かったドアは、内側からは開かないが、外からは開く。グレンたちが閉じ込められていたこの部屋に辿り着いたダグラスはドアを開け、魔法で吹き飛ばされたグレンを見て、咄嗟に駆け出したというわけだ。
「ごめん、あとで説明する!」
ダグラスの手を離れ、体勢を立て直したグレンは顎で合図をした。
「紋様を探す。時間を稼いでくれ!」
指示を受け、了解、とダグラスは大剣を握った。
『何人来ても同じだよ!』
男がダグラスに向かって魔法を放つ。迫る火の玉に臆することなく踏み込むと、ダグラスは大剣を振りかぶった。