3│行方

「いやぁ、びっくりした。急に騒ぎが起こるもんだから、何が起きたかと思ったよ」

 金髪の男は木箱の上に腰掛けると、傍へやってきたグレンとラカを見上げて言った。
 言葉とは裏腹に、その表情は楽しそうだ。あの一触即発の空気の中での、堂々とした態度と発言。どうやらかなり肝が座っているらしい。

「ありがとうございました。本当に助かりました」

 ラカが男に向かって深々と頭を下げた。男は「いいって」と軽く手を横に振った。

「女の子が困っていたら放っておけないからね」

 人好きのしそうな笑顔を向けられ、ややあって、ラカもぎこちなく笑みを返した。その頬が少し赤みを帯びて見えるのは、日差しのせいか先ほどの騒ぎの名残りのせいか。
……これは、いわゆるナンパというやつでは?
 間近で見ると、男の容姿が整っていることがより良く分かる。
 深い海の色をした双眸、鼻筋はスッと通っていて、夏の日差しを思わせるような金髪は光を受けて輝いている。
 細身だが、華奢ではない引き締まった身体。先ほど見た感じでは、背はグレンより少し高いくらいか。ジロジロと値踏みするような目付きになっていたらしいグレンの視線を受けて、しかし男は気分を害した様子もない。グレンに向き直って、にっこりと笑った。

「これも何かの縁だ。オレの店、見てってくれよ。安くするからさ」

 言われて、二人は男の足元に並べられた品々に目を向けた。ラカが小さく感嘆の声を上げる。
 目を引いたのは、ところ狭しと並んでいる鉱石の細工品だ。赤や青、緑。色は様々で、太陽の光に反射してきらりと光る。小さな鉱石が嵌められた台座は木や金属でできていて、それにも細かな装飾が刻まれていた。
 滑らかな曲線で刻まれた模様は、植物や小鳥。繊細で温かみのある造形は女性に好まれそうなデザインだ。
 指輪やブローチ、ネックレスなど。女性向けの装飾品店か。そう思ったが、隅のほうにはいくつかの古びた本やナイフなどもある。装飾品が主で、それ以外も扱う雑貨店という印象だ。

「きれい……!」

 ラカが目を輝かせてしゃがみこむ。
 やはり年頃の少女らしく、綺麗なものや可愛いものが好きなのだろう。
 何となく黙って置いていくのも憚られて、グレンも隣に腰を下ろした。
 装飾品には興味はないが、分厚い古本には目を引かれた。

「手に取って見てもいいですか?」
「いいよ! どうぞ」

 ラカが楽しそうに近くのブローチを手に取る横で、グレンは革張りの古書をそっと持ち上げた。
 だいぶ古い物のようで、慎重に扱わないとバラバラになってしまいそうだ。
 この本が気になったのは、表紙に書かれている文字が、人間界に来てからは初めて目にしたものだから。
『聖霊と聖なる石』。古い言語でそれだけが表紙を飾っている。
 表紙を捲ると、焼けて黄ばんだページが現れる。聖霊と人の歴史、聖霊の加護、聖霊石などについて書かれているようだった。

「古代語が読めるのか?」

 声に反応して顔を上げると、男が少し驚いたような顔をしてグレンを見ていた。

「ああ……魔界でも、たまにこの字は使われてるから」
「アンタ、やっぱり魔族なのか」

 人間にはない尖った耳と、額の紋様で魔族だと判断したのだろう。しかし、怯えや憎悪といった感情は感じられない。純粋に物珍しさで驚いているらしい。
 隣でラカがそわそわしながら二人を交互に見ていたが、男に負の感情がないと分かると、視界の隅でも分かるほどにほっとしていた。

「まさか今日だけで二人も魔族に会うなんてな。珍しいこともあるもんだ」

 男の言葉に、グレンとラカが同時に顔を見合わせる。

「他の魔族にも会ったんですか!?」
「ん? あぁ、栗色の髪を二つに結んだ娘にな。美人な娘だったよ」

 栗色の髪。恐らく、グレンたちの目の前で祭壇を破壊していった少女と同一人物だろう。
 こんなに早く追いつけるとは。グレンとラカの表情が少しだけ明るくなる。

「その女、どこに行ったか分かるか」

 グレンの問いに、男はグレンが持っている古びた本を指差して言った。

「その娘もこの本を読んでいったよ。聖霊の住み処について書かれてるだろ? 『この街から一番近い聖霊の住み処』を知りたいって言うから、西の遺跡を教えたんだ」

 すると彼女は礼を言ったのち、すぐにその場から立ち去ってしまったという。
 状況から、魔族の少女は西の遺跡に向かったと考えるのが妥当だろう。
 なぜ、聖霊のいる場所を探していたのか。その答えはすぐに分かった。
 グレンの隣で俯いていたラカが、はっと顔を上げた。
 人間界と魔界の狭間には聖霊界が存在していて、両世界を繋いでいる。
 世界中に点在する、他より聖霊が多く存在する地。
 聖霊が多いということは、その地が聖霊界に近いということ。しかし、裏を返せば魔界にも近いわけで。
 神聖視される一方で、魔界を恐れる人間たちが祭壇を作って聖霊を祀り、魔界への道を封印したとされている。

「聖霊の住み処には祭壇がある……」

 ラカの呟きを聞き取った男は、整った眉を顰めた。

「……もしかしてあの娘って、今大陸中で話題になってる祭壇破壊の主犯?」

 グレンとラカは顔を見合わせた。
 恐らくそうだと思うが、確実とは言い切れない。グレンたちは、彼女が祭壇を破壊する場面を一度しか目撃していない。
 しかし、あの落ち着いた態度や手慣れた動き。まるで何度も同じことをしてきたように思える。ラカが「推測ですが……」と言葉を濁すと、男は苦虫を噛み潰したような表情で額を抑えた。

「オレ、破壊活動の幇助したのかよ。アルクメリアに訴えられる……」
「だ、大丈夫ですよ! 今、私たちが追ってますから」

 とはいえ、グレンは捕縛目的ではなく、単純に魔界への帰り方を聞きたいだけなのだが。
 ラカはどうなのだろう。アルクメリアに所属しているという立場上、祭壇を破壊した少女を捕まえなければいけないのかもしれない。
 そのときは、ラカに雇われているダグラスも加勢するだろうが(ダグラスの場合、護衛の契約がなくても首を突っ込みそうだが)。女とはいえ、相手は戦いに長けた魔族で、そのうえ召喚術師。返り討ちにされてしまう可能性も充分にある。
 それは、ラカやダグラスと行動を共にしているグレンも同じだった。
 男はじっと何かを考えていたようだったが、やがて小さく頷いた。そして、目の前に並べていた商品を小さなケースにしまい始めた。

「決めた。オレが西の遺跡に案内するよ」

 男の申し出に、ラカは目を丸くした。

「いいんですか?」
「これであの娘が西の遺跡の祭壇を壊したら、場所を教えたオレが壊したのと一緒だしな。それに、西の遺跡には用事があって行こうと思ってたんだ」

 話しながら、男は数十を超える小さな商品たちを手際よくケースに詰めた。扱っているのがほとんどアクセサリーだからか、片付けてしまえば荷物は少なく、かなり身軽だ。

「じゃ、行こうか!」

 荷物をまとめ終えた男が立ち上がった。

「……なあ、なんであの女にすんなり場所を教えたんだ?」

 男に尋ねるグレン。
 ここでは魔族というだけで珍しがられる存在。加えて、今は祭壇が破壊される事件が大陸中に広まっている。
『聖霊の住み処、イコール神聖な場所で、祭壇が設置されていることが多い』のは、アルクメリアだけでなく一般人でも知っている常識らしい。
 そんな場所に魔族が行こうとしていると知ったら、疑いを持つくらいしそうなものだが。
 男も、やはりその落ち度を気にしていたらしい。振り返った表情は苦いものだった。

「あんな綺麗な娘が犯人なんて思わなかったんだよ」
「顔で判断すんなよ!」
「大体、困ってる女の子がいたら助けるだろ? 人助け、人助け」

 ごまかすように笑う男を白い目で見ていると、ラカが言いづらそうに口を挟んだ。

「もう一人、仲間がいるんです。わたしはラカ、こっちはグレン。貴方は……」

 そう言うと、男は満面の笑みで二人に手を差し出した。

「ケーヤって呼んでくれ。よろしく!」





 ダグラスと合流し、四人は少女が向かったと思われる遺跡へ向かった。
 街を出て数刻歩くと、白い巨大な石柱が並んで立っているのが見えた。欠けたり崩れたりしているものがほとんどで、少し衝撃を与えれば粉々になってしまうのではないかと思えるほどだ。
 石柱で囲まれた道を進むと、石を積み上げた階段がある。下から見上げるが、頂上の様子は見えない。息を切らしながら何とか登りきった四人の目の前に、澄みきった青空が広がった。

「うわ……!」

 声を溢したのはラカだ。
 空と、どこまでも続いているような草原。森、砂地までも見渡せる。高い場所にあるため、爽やかな風が吹き抜けた。
 先ほどまでグレンたちがいた街も見えた。大きな街なのに、ここから見るとかなり小さく見えるのが不思議だ。それほど高くまで登ってきたということなのだろう。
 しかし、

「見晴らしはいいけど……」

 ダグラスが苦笑するのも無理はない。
 頂上は開けた場所になっている。やはり周りを石柱が囲んで立っていて、その中心の床には大きな魔法円が描かれているのみ。
 遺跡への入り口などどこにもないのだ。
 グレンは足元の魔法円を見下ろした。
 古代の遺跡では、目立つ入り口がない場合、こういった魔法円が鍵になっていることがある。
 つまり、魔法円が示すとおりの行動をすれば、入り口が現れる可能性が高い。

「分かるか?」

 ケーヤがグレンの足元を覗き込む。グレンが立っている場所には、古代語で文字が刻まれていた。

「多分……この文字を数字の順番で叩けばいい」
「1、2、3、4の順番に叩く、ってことは、グレンの足元のは『1』だから……」

 難しい顔をしているダグラスにラカが説明する。
 アルクメリアに所属していると、必要最低限の古代語も習得させられるらしい。簡単なものなら分かると言っていた。
 アルクメリアではない一般の人間で、古代語が読める者はめったにいないということだった。
 四人は数字の描いている場所にそれぞれ立ち、剣の柄やロッドの先で文字を叩いた。すると、ゴン! という音とともに、足元が大きく揺れた。
 直後、魔法円が淡い光を放ち出す。慌てて離れると、光が消えていく頃、円の中央に地下への階段が現れた。
 砂埃の積もった階段に、何者かの足跡がある。ヒールのような特徴的な足跡。
 四人は顔を見合わせると、薄暗い階下へと足を踏み入れた。