4│災害

 四人分の足音が、石造りの壁に反響する。
 階下へ進むにつれ、太陽の光は届かなくなり、辺りはだんだん薄暗くなっていった。
 突然、ふっと明かりが消え、四人は揃って入り口を仰ぎ見た。やはり特殊な仕掛けで鍵を掛けられているだけのことはある。一定の時間が経つと仕掛けを解く前の状態に戻るらしく、そこは完全に塞がれていた。
 それを予測していたケーヤは、あらかじめ用意していたカンテラに火を灯した。
 足元を照らしながら、慎重に下りていく。
 勾配はかなり急で、そのうえ一段一段の幅も小さい。踏み外したら転がり落ちてしまいそうだ。
 耳をすましてみても、四人以外の気配や足音は今のところ皆無だった。
 魔族の少女のものと思われる足跡も薄れ、今では既に辿れなくなってしまっている。が、この階段以外の道は見当たらない。ここを通っていったと考えて良いはずだ。

「ケーヤは、この遺跡に何の用事があったの?」

 そう尋ねたのは、ケーヤの後ろについていたダグラスだ。
 ダグラスの後ろにラカ、最後尾をグレンが守る。とはいえ、現時点では一本道のため、後ろから魔物に襲われる可能性は低いが。

「ああ……聖霊石を探してるんだ」
「聖霊石?」
「さっきアクセサリーを売ってただろ? あれを作って売るのに必要なんだ」
「あれって、ケーヤさんの手作りだったんですか?」

 ラカが驚いたような声を出す。
 驚くのも無理はない。店先に並べられていたものだけを見ても、まるで職人技と見紛う完成度だった。
 アクセサリー類にほとんど興味がないグレンでもそのように感じたのだから、小物好きの女性から見れば、とても魅力的に見えるのだろう。
 聖霊が宿る特別な鉱石、聖霊石。
 それは人間界と魔界、どちらにも存在しているもの。
 人がめったに立ち入らない場所にあるのがほとんどで、多少の魔力を持つことから、冒険者がよく身に付けている。ケーヤの首飾りや、ラカのロッドに付いている赤い石もそうだ。
 聖霊が宿るため、石の中心が時折きらりと煌めくのが特徴。石そのものやその土台に紋章を刻んで、魔法のブースターとしたり、お守りにしたりする。
 魔界ではそういった魔法具を持つことはあまり一般的ではないが、魔力の低い人間には馴染みの装飾品らしい。
 やっと急勾配の階段を下りきって、一同は息をついた。奥の空間に向かって等間隔に石柱が建っている、広さがありほの明るい場所だった。
 太陽の光が届かないのに、この空間が『真っ暗』ではなく『ほの明るい』理由は、まさに聖霊石だった。

「なんだ。普通にあるじゃねえか」

 グレンが屈んで足元の石を拾い上げる。それは砕けた断面から、時折揺らめきながら淡い光を発していた。聖霊石の特徴だった。
 微弱な光を溢す石が、そこかしこに転がっている。夜空に輝く星が地面に落ちてきたかのようだ。
 もっと奥地まで足を踏み入れないと存在しないのかと思っていたが、あっさりと見つかってグレンは拍子抜けした。もちろん、楽に見つかるに越したことはないが。

「すごい……!」

 ラカが忙しなく辺りを見渡している。そこにケーヤが来て、足元で光る石に目を細めた。

「綺麗だよな。アクセサリーにするなら、こういうので充分なんだけどな〜」

 残念そうな口調でケーヤは首を振る。
 他の用途でも使う目的があるのだろうか。
 品質が求められるとしたら、その辺りのことは素人であるグレンには分からなかったが、ケーヤが駄目だというならそうなのだろう。

「何でもいいってわけじゃねーのな」

 グレンは拾った石を地面に放った。

「そうだな……例えば」

 そう言いかけて、ケーヤが口をつぐむ。
 直後、ゴトン! と何かが崩れるような音。
 四人はそれぞれ武器を構えて息を潜めた。薄暗くて見えないが、奥へ続く通路から聞こえてきたようだ。
しばらく身動ぎもせず待機していたが、その後何かの音が聞こえることも、何かが襲ってくることもない。
 慎重に、音を殺して奥の通路へ歩を進める。細い通路の先に影が見えた。
 佇んでいた、四角く分厚い石板には見覚えがある。中心には何かを嵌め込むような穴があり、そこを中心に大きくひび割れていた。

「祭壇が……!」

 駆け出そうとしたラカの腕をダグラスが掴み、後ろに引き戻した。
 その僅か数秒だった。細長い影が、ラカがいた場所を目掛けて横切った。
 それは長い尾のようなものを引きずって地を這い、目にも止まらぬ速さで岩や石の影を伝う。
蛇だ。
 ふっと頭上が暗くなり、グレンは咄嗟に剣を払った。刃をまともに受けた蛇は真っ二つに切られ、地面にぼとりと落ちて体液を撒き散らした――かと思われた。

「なっ……!?」

 落ちるやいなや、蛇は音もなく霧のように消えてしまったのだ。
 実体を持つ魔物が、命を絶たれた瞬間に消えることはあり得ない。
 それは、魔族が使う幻術だった。

「すみません。人がいるとは思いませんでした」

 突然人の声が響き、四人は一斉に視線を向けた。
 祭壇の影から現れたのは、一人の少女。座り込んでいたのか、ゆらりと立ち上がった彼女はやや足元が覚束ないように見える。
 ウェーブのかかった栗色の髪、魔族の特徴である尖った耳を見て、ケーヤが「あっ」と声を上げる。

「あの娘だよ。オレが街で会ったのは」

 少女は感情の読めない表情でこちらを見た。
 予想通り、グレンたちが追っていた少女と同一人物だ。
 魔界に戻る方法を知っているかもしれない唯一の人物。しかし、何より破壊された祭壇が気になった。
 先ほど聞こえてきた物音は、きっとこの祭壇が崩れる音だったのだろう。その原因を作ったのは恐らく……。
 ラカが恐る恐る一歩足を踏み出して言った。

「人間界各地の祭壇を壊しているのは……あなたですか?」

 そう問いかけると、少女は一片の動揺すら見せずにラカを見た。

「はい。この祭壇も私が壊しました」

 声色もひどく落ち着いている。問い質されている理由が分からないのではなく、何か決意をもっておこなっているからだと感じさせる。

「この祭壇は……悪意ある魔族から、人間界を守る大事なものなんです。どうかやめていただけませんか?」

 ラカの発言のあと、少女はグレンたち一人一人に目を向けた。じっとグレンを見て、やがて何かに気付いたように少し目を見開いた。
 自分以外の魔族がいて驚いたためか。しかし、彼女は一瞬で元の無表情に戻り、動揺を見せたことなど感じさせない様子で再び口を開いた。

「私が、それに従わなかったらどうしますか?」
「……え?」
「戦って止めますか? 捕縛して罰を与えますか?」
「え、えっと……」

 思ってもみなかった反応に、ラカが口ごもる。
 少女との間に沈黙が流れた。少女はラカの返答を待っていたようだったが、しばらくしておもむろに右手を突き出すと、辺りにもやのようなものが立ち込め始めた。

「やべえ!」

 グレンは叫ぶと同時に前に出て、もやを剣で振り払った。
 白いもやは風圧で散り、壁にぶつかって霧散する。……はずだった。
 ただのもやのようなそれは、壁に当たった瞬間、パキパキと尖った音を立てて凍り付いてしまった。
 触れたものを凍らせる、氷の魔法だ。
 それを見て、ラカたちは慌ててもやのない場所へ退避した。
 グレンが少女に向かって突進する。しかし、少女は相変わらずの無表情で指を一振りした。
 ぼこぼこと地面が盛り上がり、いくつもの亀裂がグレンの足元に向かって走ってくる。
 本物か? 幻術か?
 辿り着いた亀裂の一つがばくりと割れ、土を撒き散らしながら飛び出した大蛇がグレンを襲う。それが足に噛み付こうと鋭い牙を見せたところで、グレンは下から振り上げるように蛇の頭部を剣で裂いた。
 頭を断たれた蛇は、ぐしゃりと地面に横たわるが、やはり空気に溶けて消えた。
 グレンは思った。もしかしたら、この女はこちらを傷付ける気はないのかもしれない。
 よくよく見れば、氷の魔法である白いもやは足元に集中している。足元を凍らせて足止めする低級魔法だ。
 蛇の幻術も、こちらを疲弊させて戦意をなくさせるためのものだとしたら。

「危ない!」

 ラカが叫ぶ。他の亀裂から飛び出した大蛇が、グレンの足に噛み付いた。が、やはり思ったとおりだった。
 痛みはなく、蛇は色を失ってすうっと消えていく。

「攻撃をやめろ!」

 グレンは少女に向かって言ったが、彼女は再び別の魔法を練ろうとしていた。
 それを見て、グレンは舌打ちする。幻術は本物と見分けがつかないため、掛けられたほうは精神的負荷が高い。いつ本物を召喚して攻撃してくるかも分からない。少々手荒だが、捕らえるしかなかった。
 グレンが少女に向かって再び駆け出したとき、彼女は地面にへたりと座り込んだ。
 攻撃するのをやめたとは思えない。ならば、別の手を打つ前触れか。グレンたちが身構えると、ズンッと大きな音を立てて突然に地面が揺れた。
 しかも、一度の揺れではない。地面を大きく左右に揺さぶる振動で、頭上から石粉がパラパラと降り注ぐ。
 鋭い音がしてそちらを見上げると、少女の近くに立っていた石柱が崩れ倒れてきた。
 細かい石粉を巻き上げて、柱は少女の真横に倒れて粉々に砕けた。
 遺跡が崩れてきている。

「や、やばいって!」

 どこからかケーヤが叫ぶのが聞こえた。柱が次々と倒れ、巻き込まれそうになるのを寸でのところで避けた。
 少女を見るが、座り込んだまま動かない。このままでは柱の下敷きになる。
 ガラガラと音がして、グレンと少女のいる方向へさらに巨大な柱が倒れてきた。
 走り出すグレンの視界の端に、少女に駆け寄るダグラスの姿が映る。頭が割れるような瓦礫の音で、誰かが何かを叫ぶ声すら聞き取れない。
 他の皆は無事か。振り返ろうとしたその目の先に降ってきた石塊で、身体が吹き飛ばされる。どこかを打ったのかも分からなかったが、徐々に視界が利かなくなり、ついにグレンは意識を手離していた。