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「ヒマだなぁ」
小さく呟くと、テーブルの上で木の実を囓っていた使い魔が「みゅ?」と鳴いてこちらを見上げた。
積み上げられた書類、散乱した報告書。この部屋に『彼』がいたなら、よくもまあヒマだなんて言えるものだ、と顔を顰めて呆れるだろう。
することがないからヒマなのではない。刺激がないのだ。毎日同じことの繰り返し。加えて、この自室兼事務所を訪れるのは顔見知ったお馴染みの面子ばかり。
まれに、憎悪に取り憑かれた昔の復讐者が『遊びに』やってくるが、それこそ本当につまらないことだとシャールは溜め息をつく。
遠くのほうから足音が聞こえてきた。聞き間違うはずもない。煙管を吸って、口元にニヤリと笑みを浮かべる。そうして、玄関のある方角へ指をヒュッと走らせた。
足音が止まり、ドアが開かれる音がする。玄関に一歩足を踏み入れた直後、短い悲鳴が上がった。加えて、物が倒壊する音。あ、やっちまったか。あーあ、と口を開きっぱなしにしていると、慌ただしく廊下を走る足音が響いた。
ドスドスドスドスドスドスドスドス!!
「ごるぁ! シャール、てめぇ!」
バン! と力任せにドアを開いて怒鳴り込んできた彼は、出掛ける前と比べて随分と汚れていた。深く考えるまでもなく、彼はトラブルに巻き込まれたわけではない。玄関を、開けるまでは。
「ちょっと、飾ってあった壺壊したでしょ。アレ貰い物なんだからさ、今度お客さん来たとき、何て言い訳すればいいのよ」
青筋を浮かべた彼は、拳をプルプルと震わせている。
じゃあ、あんなところに飾るなよ。
そう言いたげな顔だ。
彼が入室した途端、使い魔は夢中になっていた木の実をほっぽって、嬉しそうに彼に飛び付いた。白い毛並みが泥で汚れるのもお構いなしに、すりすりと頬擦りをして親愛を示した。
飼い主にはしないというのに、この対応の差。ジェラシーである。
赤毛の少年、グレンは持っていた紙袋をテーブルに投げ付けた。泥まみれのそれは、べちゃりと嫌な音を立てて着地した。山積みの書類に泥が飛び散る。
書類はまあ、どうでもいい。どうせ綺麗な状態で提出したことのほうが少ない。それよりシャールが気になったのは、紙袋の中身だった。
「あっ、泥まみれじゃん。どうしてくれんの」
「こっちの台詞だ!」
案の定、中身は土色でコーティングされていた。箱を指で擦ると、カラフルなパッケージが顔を出す。もしかしたら、箱の中は無事かもしれない。また指を軽く一振りして、食器棚からカップと皿を招致する。着地場所に困って、テーブル上空でふわふわと漂ったままの食器。それに気付いて、シャールはやりかけの書類を適当に払って床に『一時保管』した。
「分かってないね。お使いといえども、依頼は依頼。きちんとこなせないイコール、信頼を失うことになるのです。お分かり?」
「お前への信頼なんて欠片もねぇけどな」
「そういうわけで、お使いもこなせないグレン君にお仕事が来ています」
グレンの悪態を聞き流し、彼に向かってドロドロになった一枚の書類を飛ばした。
受け取ったグレンが眉を顰める。汚れているのを抜きにしても、依頼主が直接書いたその依頼書は、字が酷く歪で読みにくい。
魔物に安眠と商売を妨害され、不眠症になってしまった依頼主の雑貨屋が、藁にもすがる思いで何とか書き上げた一枚だ。
のたうち回る芋虫のような字に目を凝らすグレンに、シャールが補足した。
「北の森に棲みついたドラゴンの討伐。種類はレッド。言うまでもなく火吹いてくるから気を付けてね」
「……火吹き竜の相手が、何で俺なんだよ」
「アイスの魔法が上手い人を行かせたかったんだけどね。ドラゴンって聞いたらみんなびびっちゃって。おチビならやってくれるんじゃないかと思ってさ」
「チビって言うな」
グレンは肩に止まっていた使い魔に書類を持たせると、シャールの方へ飛ばした。
「ミミちゃんは?」
「いい。一人で行く」
「みゅー……」
使い魔のミミが寂しそうに鳴いた。
グレンが背を向ける。すっかり濡れ鼠になったその後ろ姿を見て、シャールは悪びれもせずに言った。
「あの森寒いから、行く前に着替えたほうがいいよ」
「分かっとるわ!」
グレンは鬱陶しそうに一瞥すると、来たときと同じように、ドスドスと足を踏み鳴らして出て行った。
「あんな怒りっぽい奴のどこがいいのさ?」
もうグレンの姿はないにも関わらず、彼が出て行ったドアをいつまでも悲しげに見つめているミミの背中をつつく。背中に生えた羽がぴくぴくと動くものの、こちらを振り返ることはない。どちらが主人か分かったものではないな、とシャールは唇を尖らせた。
グレンが人間界に迷い込む少し前の話
グレンは毎度シャールの事務所に行って仕事(魔物討伐依頼)を貰います
一日で終わる仕事だったり、数か月に及ぶ仕事だったり色々
でもその時にシャールが手を変え品を変え嫌がらせというかいたずらを仕掛けてくるので
グレンはうんざりしています