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二、三度瞬きをして、グレンは自分がベッドの中にいることをようやく思い出した。
全身に巻き付けた毛布から顔を出そうと手を動かして、顔を顰めた。
身体が鉛のように重かった。その上、悪寒がして手足が冷たい。
毛布の隙間から部屋を見渡す。やはり部屋も暗くて、今が朝なのか夜なのかすら分からなかった。この世界では、朝が夜のように暗いのはよくあることだから。
魔物討伐団体に所属する者にのみ貸し出される寮の一室。そこがグレンのホームだ。
やっとの思いでここに辿り着いてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
いつものように討伐の仕事を完遂して、帰る途中で『それ』は起こった。
情報にはなかった魔物の集団に襲われ、撃退するのにかなりの時間を費やした。
大して強くない。が、やたらと体液の飛び散りやすい魔物で、殲滅する頃にはグレンの全身はドロドロになっていた。
異変に気付いたのはその時だ。頭がクラクラとして、足に力が入らない。目の前が霞む。足元が歪んで見える。
ぶっ倒れそうになるのを必死に堪えて、グレンは自室に辿り着いた。全身に気味の悪い液体がこびりついていたが、それをどうにかする気力も残っておらず。ベッドに倒れ込んで、気を失うように眠ったのが、眠りにつく前の記憶。
全身から変な匂いがして、気持ち悪い。吐きそうだ。
「……くそ……」
口から漏れた悪態は酷く掠れていて、自分の声ではないかのようで。
その時。部屋の外から、ドアをカリカリと引っ掻くような音が聞こえてきた。
加えて、みゅーみゅーと小動物が泣くような声。その声に、ああ、と思い当たる。
シャールの使い魔、ミミの鳴き声だ。
幻聴かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「おい、おチビ」
これこそ幻聴であってほしい男の声が間近から聞こえてきたからだ。
ドアには鍵が掛かっている。しかし、この男にとって鍵などあってないようなものだ。
これまで何度、承諾なしに侵入されたことか。今のグレンにはそれを怒る気力さえない。
いつもヘラヘラしているのに、声にドスが滲んでいる。大方、仕事が溜まってイライラしているのだろう。
八つ当たりの矛先を向けられるのはいつもグレンだった。
「報告放っぽり出してご就寝か。いいご身分だね」
うんざりしながら無視を決め込んでいると、突然、極寒の海の中へ投げ出されたかのような錯覚に陥った。
シャールが毛布を剥いだのだ。
「うわ、ばっちい。何やってんの」
「さみぃ……返せ……」
毛布を取り返そうと腕を伸ばすが、すぐにぼとんとベッドに沈んだ。
腕が重くて上がらない。
その様子を、シャールは怪訝な顔をして見ていた。
「……ああ、レッドローパーの体液だね。言ったじゃん。巣あるから気を付けろって」
そんなことは聞いた覚えがない。
討伐の依頼を受けるときは、シャールが必ず注意事項を述べる。天候による魔物への影響、地形や、討伐対象以外の魔物の危険性など。
グレンが忘れているだけなのか、それともシャールが伝え忘れたのか。当たり前に伝えたように振舞っているが、この男。しらばっくれるのが大得意なのだ。
シャールは、力なくベッドに沈むグレンの上に毛布を落として、「あーあ」と傍にあった椅子に腰掛けた。そしてテーブルに頬杖をつき、組んだ足をぶらつかせた。
「人の身体は、どうしてこうも弱いんだろうね」
使い魔のミミが毛布に潜り込んできて、グレンの鼻の頭をペロペロと舐めた。本気で心配してくれているかのようなその仕草に、若干目の奥が熱くなる。
今度、蒸したワームを大量に持ってこよう。
シンと静まった部屋の中、グレンは重たくなった身体を捩って、椅子の方へ視線を向けた。
シャールは気配が薄い。いたはずがいつの間にかいなくなっていたとか、その逆だとかが頻繁に起こる。
シャールは相変わらずそこに座っていた。暇そうに頬杖をついて。
「何の用だよ……」
恐らく、依頼完遂後の報告がなかったため、わざわざ来たのだろう。
少しくらいリミットを過ぎても何も言わない、ルーズなシャールが叩き起こしにくるとは。眠ってからどれほどの時間が経ったのか、少し不安になる。
見た通り、事務所に報告に行けるような健康状態ではない。帰らずにここに居座っているのは、何か用があるからなのか。
シャールは欠伸を噛み殺し、目尻に涙を滲ませた。
「おチビが苦しんでる様を見てる」
そうだ。
こういう男だった。
「……帰れ」
枕をぶち当てようとして、しかし、飛距離はまったく伸びずにベッドに落ちた。
頭がくらくらして、朦朧としてきた。視界がグニャグニャと歪んで見える。目を固く閉じ、頭から毛布を被った。真っ暗闇の中、ユラユラと波に揺られているような感覚になった。
暗い。寒い。
こんな無様な姿をいつまでも晒せば、シャールの思うツボだ。治さなければ、でも、どうやって。
震えは治らない。次第に意識が遠のいていき、抗おうと腕に爪を立てるが。その効果も薄く、グレンはそのまま気を失った。
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微かな光を感じて、目蓋をこじ開ける。
窓から僅かに射し込んでいるのは、太陽の光だ。珍しいな、と思いながらぼんやりしていると、胸元で何やらもこもこしたものが蠢いた。
少し驚いて、毛布を捲る。丸めた背中を、呼吸に合わせて緩やかに上下させていたのはミミだった。汚れたままのグレンと毛布にサンドされていたため、白かった毛並みはもはや白ではなくなっていた。
ここに来てから、ずっと傍にいてくれたらしい。身動ぎをして上体を起こすと、グレンは気付いた。
身体が軽い。悪寒は感じず、ぐらぐらするような眩暈もない。
治っている。
戸惑いながら部屋を見渡したが、どこにもシャールはいなかった。
代わりに、テーブルの上に見慣れない銀色の包み紙が散らばっているのを見つけ、グレンはベッドから降りた。
「何だ、これ……」
手に取ってまじまじと眺め、一つの考えに辿り着く。
まさか。
「いや、まさかな……」
ない。絶対ない。
ブツブツと呟くグレンの独り言で起きたのか、ミミが顔を上げた。まだ寝惚けたように目が半開きになっている。
あの、他人の不幸が三度の飯より大好きな男が、病人に薬を与えるなんて真似をできるわけがない。
それともあれか。
恩を着せて、雑用にこき使おうという魂胆なのか。
ミミをちらりと見る。青く大きな目でこちらを見つめて、不思議そうにこてんと首を傾げた。
依頼の報告に行かなくては。熱は下がったのに、腰が重い。
付着したままの全身の汚れを落とすため、グレンは水を汲もうと部屋を出た。
「遅いご出勤で」
事務所の扉を開けると、シャールはちらりとこちらを見て、机上に広げた書類に目を落とした。
台詞は予想通りに嫌味ったらしいが、今日の機嫌は普通だ。静かに開けた扉を、グレンは同じようにゆっくりと閉めた。
バツが悪い。しかし、二人きりでなくて良かった。カウンターには、いつも行く雑貨屋の店主がいた。黒猫の姿をした彼が頭を下げるのを見て、グレンも軽く会釈をした。
シャールは書類にペンを走らせている。
「あ……あのさ……」
「薬効いた?」
先手を打たれ、グレンはぎくりとしてシャールを見た。シャールはペンを止め、不敵な笑みを浮かべながら頬杖をついた。
やっぱり。確信と同時に、グレンはシャールから目を逸らした。山積みになった書類に目を移し、落ち着かない右手で首の後ろを触った。
嫌がらせには慣れているから、怒鳴ったり文句を言ったりはよくある。だから、突然まともなことをされるとグレンは戸惑う。
こういうときに言うべき言葉がある。
しかし、それを言う自分を想像すると、全身にぞわっとしたものが駆け巡って、グレンは叫びだしたくなるのだ。
しかしシャールは、そんなグレンの内心などお構いなしに、顔色の良くなった彼をまじまじと見ている。その視線に居心地の悪さを感じながら、グレンはそわそわと首を掻いた。
「あ……あり……」
こんなことになるなら、いつものように嫌がらせをしてくれたほうがよっぽど良かった。と、普段なら考えもしないことが思い浮かぶ。
シャールはというと、グレンの態度をからかうでもなく、ただじっと彼の顔を見ていた。
しかし、直後にシャールが放った言葉は、グレンの思考を麻痺させるには充分すぎるほどの衝撃を孕んでいた。
「座薬ってよく効くんだね」
グレンの動きがぴたりと止まる。
その言葉の意味を辿ろうとして、脳内で復唱する。が、単語がすんなりと受け入れられない。
グレンは恐る恐るシャールに視線を移した。
「……は? 何が?」
「いやだから、ちゃんと効くんだなーって」
「いやそこじゃない。何の薬……」
「え? だから、座薬」
ぽかんとしていたグレンだったが、シャールから再びその言葉を投げかけられ、やっと理解した。
血の気が引潮のようになくなっていく心地がしたあと、どっと噴き出すように全身を走り抜けた。
沸騰した体温で、また倒れるのではないか。そんなことを考える余裕もなく、グレンは一目散に事務所を飛び出していた。
グレンが慌しく飛び出していったあと、事務所に一つの溜め息が零れた。
猫の亜人である、雑貨屋の店主だ。
「……旦那、いい加減あの少年のこと、からかうのやめたらどうです?」
「あ、ばれた?」
「ここしばらく、薬なんて買っていったことないじゃないですか」
呆れたような視線がシャールに向けられる。が、シャールは至極楽しそうに腹を抱えた。
「だって、楽しいんだもん」その言葉に反省の色はない。
「一体、何を置いていったんです?」
シャールはついと眉を上げ、煙管を持ち上げた。そうして紫煙を燻らせ、ニヤリと笑った。
「別に。ただのお菓子の包み紙だよ」
シャールはほとんど事務所から離れられないので、退屈しのぎにグレンをからかうのが日課です
グレンもシャールが嫌がらせをしてくるタイミングがある程度分かってはいるのですが、
いつも想像より斜め上のトラップを用意されるので、毎度回避できずにいます