*│無題

三章・ケーヤ加入あたりにあったかもしれない話





 グレンたちと合流したダグラスが最初に取った行動といえば、目を丸くしてグレンの全身を眺めることだった。

「……また喧嘩したの!?」

 グレンがぎくりと肩を震わせる。
 見れば、全身土埃だらけ。髪も少し乱れている。つい先ほど、泥棒騒ぎで男たちと取っ組み合いをしていたのだから仕方ない。右腕に血が滲んでいる小さな傷もあった。ダグラスに指摘され、慌てて隠したがもう遅い。
 いつの間にできた傷なのか、当人であるグレンすら分からなかった。

「違う、喧嘩じゃない。あいつらが……」

 ことのあらましを話そうとして、グレンは口をつぐんだ。
 騒ぎを起こしたのには変わりない。しかも、ポーチを取り返したのは自分ではなくケーヤだったし。
 あの騒ぎで自分が何を成したのかを考える。
 結局、ボコられそうになったのをラカに助けられ、ケーヤに泥棒の悪事を大衆の面前で暴いてもらっただけ。
 つまり、何もしていない。ダサすぎて言えるわけがない。
 グレンは眉間に深く皺を刻み、唇を尖らせて黙りこくった。それを無言の肯定と受け止めたダグラスが、深く追及しようと口を開く。隣でハラハラと落ち着かない様子で見ていたラカが「違うの」とダグラスを遮って、

「グレンが、盗まれたわたしのポーチを取り返そうとしてくれて。グレンは悪くないの」

 と言ってしまった。
 なんで言うんだ。
 ラカを振り返ると、目が合った瞬間、彼女は固まって一歩二歩とグレンから遠ざかった。物凄い形相をしていたらしい。なぜ睨まれたのか、ラカにとっては訳が分からないだろう。
 ばつの悪いまま、グレンはおもむろにダグラスに向き直った。
 ダグラスはぱちぱちと瞬きをして、意外そうにグレンを見下ろしていた。

「喧嘩じゃないんだ」
「……別に、いつも喧嘩してるわけじゃない」

 グレンから言わせれば、自ら喧嘩をふっかけているつもりは更々ない。
 ただ、人より短気なだけで。理不尽だと感じれば手も出るし口も出る。黙って見過ごせるような性格でないのだから、仕方ない。
 急に静かになったダグラスにちらりと目をやると、彼はグレンを見てニマニマ笑っていた。

「……何だよ」
「ふふ、そうかあ。偉い偉い」

 そう言って、ダグラスはグレンの頭に手を伸ばして撫でようとした。グレンが思いきり顔をしかめて払いのけたが、それでもダグラスは笑ったままだった。

「でも、なるべく争い事はしちゃ駄目だよ」

 眉を吊り上げて、急に説教モードに入ると、グレンが隠している右腕をビシリと指差した。

「傷口にバイ菌が入ったら、もっと酷いことになるかもしれないんだから」

 グレンはダグラスから目を逸らした。バイ菌なんて意識したことがない。
 この程度の傷なら放っておいても治るのだし、グレンならば怪我のうちにカウントしない。しかし、普段からハーブを調合して薬を作っているというダグラスにとって、怪我は軽いものでも見逃せない存在らしい。
 ダグラスが強引にグレンの腕を引いた。何をするつもりなのか、抵抗する間もなく木箱の上に座らされる。そして水筒を取り出して蓋を開けると、グレンの傷口に流水をかけた。

「何すんだよ!」
「消毒だよ、見れば分かるでしょ?」

 そう言ってダグラスがポケットから取り出したのは、綺麗な乳白色のクリームが入った小瓶だった。

「これ、ダグが作ったの?」

 小瓶の蓋を開けて少量を指に垂らす、ダグラスの手元を覗き込みながらラカが問う。

「そう。じいちゃんに教わったレシピを改良してね」
「ラグドール先生、薬草学の先生だったもんね」

 にこにこのほほんと会話する二人に反して、グレンはこれ以上ないほどのしかめ面だった。
 嗅いだことのない匂いがする。

「なあ、変な匂いすんだけど……」

 グレンがおもむろに口を開くと、ラカとダグラスはきょとんとして顔を見合わせた。

「いい匂いだよ?」
「あっ……もしかして、このスースーする感じの匂い?」

 花のような淡い匂いに混じって、強烈な存在感を発している(ようにグレンには感じる)それこそが、グレンには未知のものだった。
 魔界ではこんなものはなかった。いや、グレンが知らなかっただけかもしれないが。
 たしか魔界では、薬草よりも毒草のほうが多かった気がする。これだけ恵まれた大地を持つ人間界だ。魔界にはない、良い効能の薬草が多く存在していても不思議ではない。
 しかし、不快さを露にするグレンに対し、ダグラスはあっけらかんとして言い放った。

「このハーブ、沈静の効能があるんだ。怒りっぽいグレンにぴったりだと思うよ」

……本人を前に、それを直接言うか?

「あ、わ。わたし、この匂い好きだな。お茶にして飲みたい」

 空気を察したラカが、すかさず口を挟んだ。それを知ってか知らずか(恐らく知らない)、ダグラスは「たくさんあるから、今度淹れてあげるよ」と笑った。
 このハーブとやらの洗礼を避けるためには、些細な怪我もしてはいけないらしい。
 腕に丁寧に巻かれた包帯を見下ろして、グレンは深く溜め息をついたのだった。

本編に入れるつもりだったけどいろいろ考慮したら入れられなかった話。
そういう小ネタは今後、小話で消化していくことにしました。無念。
グレンはハーブが苦手。スースーしなければ大丈夫かも。