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死神の歌を聴くと心臓が潰れる。
……というのは、この世界に古くから伝わる迷信だ。
その手に持った大きな鎌で魂を狩るとも言われているし、姿を目にしたら数日以内に命を落とすとも言われている。それらがすべて、死神は死の象徴なのだということを知らしめている。
しかし結局のところ、どれもただの迷信に過ぎないとグレンは実感していた。
出会ってこのかた鎌など手にしているところを見たことがないし、不本意ではあるが何年も傍にいて自分はピンピンしている。
挙げ句の果てに、現在進行形で己の耳に微かな歌が届いている今、何をもって迷信など信じられようか。
……いや、そもそも『彼』が死神であるということ自体、単なる噂でしかないのかもしれないが。
薄暗い階段を下りていくと、歌が聴こえた。
向かう先は事務所。そこにいるのはこの地区を纏める管理人だ。
奏でられるのはゆったりとした優しい曲調で、「似合わねえ」とグレンは顔をしかめた。まるで子守唄のようだ。
歌だけ聴けば美しい。だが、歌の発信源のねじ曲がった性根を知っている者にとっては違和感しかない。
どこか懐かしいようなメロディーに、グレンは首を捻る。聴いたことがある。しかし、彼が何かを口ずさむのは今の今まで聴いたことがない。珍しいと思った。
階段を下りれば、見慣れた後ろ姿がある。いつものように、書類に向かって書き物をしていた。
「その歌って」
「は?」
振り返った顔に、グレンは言葉を飲んだ。いつも死んだような濁った目をして、人を手玉に取るときだけいやらしく光る。その目が完全に虚を突かれた目で、伝染したようにグレンまで気後れしてしまった。
誰にも聴かれていないと思っていたのか。気を張っていなくとも魔物より優れた五感を持っていて、常に隙など見せたことがない男が。
しかし、それもほんの一瞬で。
「聴いていたの。エッチ」
覇気のない目で普段と同じ戯言を吐いて、また書類に向き直った。
その後ろ姿はいつもと変わらなかった。片肘をついて、ぼさぼさの銀髪を指先で弄りながらペンを走らせている。
「その歌、聴いたことある」
「どこで?」
「いや、分かんねえけど」
「知るはずないよ。気のせいでしょ」
男――シャールは投げやりにそう言って、グレンを振り向かない。機嫌を損ねたときの態度だ。
その苛立ちは、歌を聴いてしまったグレンに対してか、それとも人の気配に気付けなかった自らに対してか。
「何で言い切れるんだよ」
ムッと口を尖らせながら、グレンはシャールの後頭部を睨んだ。
「ここよりずうーっと遠い地方の民族音楽だから。おチビが知ってるはずない」
じゃあ、何でお前は知ってるんだ。
そう言いかけたがやめた。本当に人より何倍も生きているなら、ここではないどこか遠い場所のことも、古い出来事も記憶されているのだ。
あの歌の続きは確か。
「……〜〜……〜〜」
うろ覚えで鼻歌を奏でる。壁に貼り出された依頼書をいくつか捲りながら、明日の仕事はどうしようかと考える。
刺さるような視線を感じて振り返ると、シャールがこちらを見ていた。その目はいつも見ている眠そうな目で、さっき見た顔は幻覚だったのではという気さえしてくる。
「やっぱり違う」
「じゃあどういう歌なんだよ」
「教えない」
何だよそれ、とグレンが不満を口にすると、シャールはニヤリと笑った。人を弄んでいるときの笑い方。
こうなるともう、まともなやり取りにはならない。それを長年の付き合いで嫌というほど分かっているため、グレンは依頼書を眺めるのをやめて踵を返す。寝よう。
相変わらず鬱陶しい視線を背中に感じていたが、ついにシャールが声を掛けてくることはなかった。聞き覚えのあるはずの歌ももう聴こえない。
「……〜〜……〜〜」
ならばこの歌は一体何の歌なのか。
グレンは階段を上りながら、微かな記憶を頼りに唯一思い出せる範囲を小さく繰り返し奏でていた。